シャンパンと高級リネンに消えた、貴族たちの聖なる仮装行列
1. 豪華なサロンの寵児たち
19世紀後半、帝政ロシアの冬を温めていたのは、豪奢な貴族の屋敷から漏れ聞こえる熱い議論の声だった。
1874年の夏、帝都のサロンで醸成された夢想は、「「人民の中へ(ヴ・ナロード)」というスローガンとともに熱狂のピークを迎えた。
その中心にいたのは、意外にも、打倒されるべき側である特権階級の御曹司や令嬢たち——後に「ナロードニキ(人民主義者)」と呼ばれることになる若者たちであった。
2. クリスタルの輝きと「懺悔」の称号
彼らは最高級の教育を受け、フランス語を操り、親の資産で用意されたクリスタルのグラスに注がれた最高級のワインを嗜んでいた。テーブルを彩るのは、パリの社交界すら羨むシャンパン、「ルイ・ロデレール」や「クリュッグ」の芳醇な泡である。。
しかし、その香りに包まれながら彼らが熱心に語ったのは、自分たちが搾取している対象である「農民(農奴)の救済」だった。
彼らは自らの富が農民の血と汗で購われていることに耐えがたい罪悪感を抱き、自らを「カイユシチー・ドボリャーニン(懺悔する貴族)」と呼んだ。
その呼び名さえも、彼らにとっては一種の高潔な称号のように響いていたのである。
3. 高級リネンで、あつらえた革命の衣装
夜な夜な開かれる秘密のパーティでは、マルクスやプルードンの禁書が回し読みされ、暖炉の火を背に「ロシアのミール(農村共同体)こそが社会主義の理想郷だ」という議論が交わされました。
彼らにとって、革命の理想を語ることは、当時の社交界において最も知的で、かつスリリングな「ファッション」でもあった。
危険な思想を隠し持っているという背徳感が、サロンでの自らの価値を高める究極のアクセサリーとなっていたのだ。彼らは、親の仕送りで誂えた「労働者風のルバシカ」をまとい、鏡の前で農民の苦悩を演じてみせた。
そのルバシカは、本物の農民が着る泥と汗にまみれた粗末な麻布ではなく、肌触りの良い高級リネンで作られた「特注のコスプレ衣装」に過ぎないのだが。
4. 流行としての若き模倣者の革命スタイル
大学の学生たちは、お坊ちゃん革命家たちのファッションや言動を、熱狂的にコピーした。
「あのニコライ様は、わざと洗っていないルバシカを着て、資本主義を否定されたらしいぞ」
そんな噂が広まれば、瞬く間にキャンパスは「労働者風のコスプレ」をした裕福な若者で溢れた。
彼らが禁書を隠し持ち、秘密のパーティで囁き合うのは、政治的な確執というよりも、自分たちの足元を支えている強固な特権階級という名の「安全地帯」を一瞬たりとも疑わないがためであった。
彼らは「革命家という配役」に心酔し、「選ばれたエリートだけの特別な遊び」としての高揚感に浸っていたのである。
一方、当時の検閲をかいくぐる地下文書は、彼らを「暗闇に差す一筋の光」として英雄視した。
「贅沢を捨て、人民に尽くす救世主」という物語は、事実よりも遥かに美しく劇的に広まり、読者たちはその裏にある「仕送り」や「ワイン」の存在を黙殺する。
人々はただ、自分たちが信じたい「清貧で崇高な革命家」というアイコンに熱狂し、惜しみない拍手を送った。
このように、彼らの夢想は、社会全体の「甘い期待」と「後ろめたさ」を栄養分として巨大な花を咲かせた。誰もがその花が「温室でしか咲けない」ことを知りながら、その毒にも似た香りに、ただ酔いしれていたのである。
5. 尊きお坊ちゃんをスターに仕立てた人々
莫大な領地を所有し、農民から小作料を吸い上げていた大地主や資本家たちもまた、彼らの強力な共感者であり、この「お遊び」における最大のスポンサーであった。
彼らは、自らが農民を搾取しているという事実に拭い去れぬ薄暗い後ろめたさを抱きながらも、自らの生活水準を落とす勇気など微塵も持ち合わせてはいなかったのである。
ゆえに彼らは、自分たちの代わりに理想を叫んでくれる「お坊ちゃん」たちへ多額の寄付を行うことで、その罪悪感を購おうとした。
彼らはイギリス製の最高級スプリングを仕込んだ特注の豪華馬車(トロイカ)で泥道を跳ね飛ばし、フランス人専属シェフが腕を振るう高級トラクチール(食堂)や秘密のクラブで、「農民の困窮」を肴に、法外な地代から捻出されたシャンパンを開け続けた。
彼らにとって、若き革命家への寄付金は、いわば「知的セレブ」としての高額な契約金のようなものだった。
自分たちは一切の贅沢を捨てず、最高級の毛皮に身を包んだまま、自分たちの代わりに「正義」を叫んでくれる若者を飼い慣らす。
「搾取した金で、搾取を否定する活動を支援する」という倒錯した自己満足が、彼らに極上の免罪符を与えていたのである。
6. スリルを求める社交界のマダムたち
退屈な宮廷儀礼に飽き果てていた貴族の夫人や令嬢たちにとって、命懸け(に見える)の理想を語る青年貴族は、現代のアイドル以上の存在だった。
「なんて高潔な方かしら。あんなに美しい暮らしを捨てて、泥にまみれようとするなんて」
彼女たちは彼らを競って自分のサロンに招き、資金を提供し、警察の捜査が及べば自慢のコネクションを使って彼らを匿った。彼女たちにとって、革命家を支援することは、「私は最新の、最も進歩的で人道的な流行を知っている」という究極のステータス・シンボルだった。
彼らの差し出す資金は、若者たちが革命の議論にふけるための最高級の食事とワインへと姿を変え、欺瞞に満ちた熱狂を支え続けたのである。
7. 稚気ゆえの革命ごっこ
サロンのソファに深く腰掛け、熱弁を振るうその若者の手は、驚くほど白く、滑らかであった。彼らが「高度な社会主義の完成形」と絶賛した農村共同体(ミール)の実態が、その理想とは程遠いものであることなど、知る由もない。
彼らの理想は、暖かいサロンの中で、同じ価値観を持つ仲間たちに拍手されることによってのみ、完結していたのである。
「明日は、この豪華な生活を捨てて農村へ行くんだ」
そう語りながら、彼らは最後の一口のワインを飲み干した。サロンの暖炉の前で語られる革命論は、当時のロシア社会にとって、最高に贅沢な「精神のエンターテインメント」に過ぎなかったのだ。
8. 温室でしか咲けない革命の花
当時の検閲をかいくぐる出版物や地下文書は、彼らを「暗闇に差す一筋の光」として英雄視した。「贅沢を捨て、人民に尽くす救世主」という物語は、事実よりも遥かに美しく、劇的に広まった。
読者たちは、彼らの生活の裏にある「仕送り」や「ワイン」の存在を無視し、自分たちが信じたい「清貧で崇高な革命家」というアイコンに熱狂し、拍手を送った。
このように、彼らの夢想は、社会全体の「甘い期待」と「後ろめたさ」という栄養分を吸って、巨大な花を咲かせたのだ。
誰もがその花が「温室でしか咲けない」ことを知っていながら、その香りに酔いしれていたのだった。
9. 理想を拒む不信の凍土
彼らは、ロシアの古き農村に息づく共同体「ミール」こそが、人類を救う唯一の鍵であると信じて疑わなかった。
「見てごらん、農民たちは土地を共有し、話し合いで物事を決めている。これこそが原始共産主義であり、西欧がとうに喪失した宝物なのだ!」
彼らが語るその場所は、過酷な重労働や貧困、疫病が蔓延(まんえん)する泥濘(ぬかるみ)などではなく、一切の汚れなき「聖域」へと書き換えられていたのである。
若者たちは、自分たちが「救世主」として歓迎されることを疑わなかった。
だが、降り立ったその地に待っていたのは、空想した理想郷ではなく、彼らという存在そのものへの峻烈な拒絶であった。農民たちは、労働の跡がない「白い手」を見ただけで、彼らの語る理想のすべてを撥ねつけた。
土にまみれて生きる者たちにとって、指先まで手入れされたその「白さ」は、自分たちの血を吸い上げてきた特権階級の象徴そのものだったからだ。
そこは、家父長制の抑圧と村八分の恐怖に支配された、あまりに閉鎖的な世界だった。暖かいサロンで議論にふける彼らにとって、そんな泥まみれの真実は、心地よい夢を邪魔する「ノイズ」でしかなかったのだ。
「土地の共有」や「自由」を説く彼らの熱弁は、農民の耳には「狐の化かし言」か、あるいは「自分たちを陥れる新たな罠」にしか聞こえなかった。
農民たちが返したのは、言葉の通じぬ他者への底冷えするような不信であった。若者が提示した理想は、彼らにとって現実味のない絵空事に過ぎなかった。
それどころか、自分たちの平穏を証明し、村に火の粉が降りかかるのを防ぐための「手頃な供物」として、その白い手をした若者たちを、躊躇なく最寄りの警察署(スターン)へと突き出したのである。
1874年の夏、帝都のサロンで醸成された夢想は、こうして数千人の逮捕者という記録を残し、幕を閉じた。

L『納得感の解剖学|説得の技術者たち』
『知の深淵へ|童話・寓話の解剖学』
