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「鶴の恩返し」と「青ひげ」の真相

水辺の林の風景、水面に映る木々 童話・寓話
童話・寓話
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なぜ日本人は後悔し、西洋人は富を得るのか?

第一章:あらすじ

鶴の恩返し(日本の民話)
日本各地に伝わる「動物報恩譚」「異類婚姻譚」の代表作。特定の原典はないが、江戸時代の『諸国里人談』などに類話が見られる。現代で一般的な「夫婦の悲劇」という設定は、1949年に木下順二が発表した戯曲『夕鶴』の影響を強く受けている。

青ひげ(フランスの童話)
1697年にシャルル・ペローが刊行した『教訓付散文童話集』に収録された文学童話である。民間伝承を貴族社会向けに洗練させたもので、モデルは実在の殺人鬼ジル・ド・レらとされている。

『鶴の恩返し』―― 障子の向こうの献身

むかしむかし、雪深い山里に住むおじいさんが一羽の鶴を助けました。するとその夜、美しい娘がやってきて「機(はた)を織る間、決して中を覗かないでください」と約束し、奥の部屋に入りました。

娘が織る布は飛ぶように売れ、家はみるみる豊かになりました。

しかし好奇心に負けたおじいさんが障子を覗くと、そこには自らの羽を抜き、血を滲ませて布を織るボロボロの鶴の姿がありました。

正体を見られた鶴は、悲しく鳴きながら空へ去り、二度と戻ることはありませんでした。


『青ひげ』―― 扉と鍵の忠誠


むかしむかし、「青ひげ」と呼ばれる裕福な貴族がいました。

彼は新しい妻に城のすべての鍵を託し「どの部屋も自由に見てよい。だが、この小さな鍵の部屋だけは、決して開けてはならないよ」と言い渡しました。

妻は贅沢な日々を過ごしましたが、禁じられた小部屋への誘惑に抗えず、ついに鍵を回してしまいます。

扉の向こうに隠されていたのは、惨殺された先妻たちの死体でした。

驚きで落とした鍵には、拭いても消えない真っ赤な血の印がつき、裏切りの証拠となってしまったのです。帰宅した青ひげは、鍵の血痕を見て裏切りを悟り、妻を殺そうと剣を振り上げます。

助けを求める叫びを聞きつけた彼女の兄たちが乱入し、青ひげを討ち取りました

妻は救われ、青ひげの莫大な遺産を手にします。彼女はその後、過去を忘れるように新しい人生を歩み、二度と恐怖に怯えることなく幸せに暮らしました。

第二章:「障子」の情愛と「鍵」の契約 ―― 境界線の本質


「開けてはならない」という禁忌を隔てる構造そのものに、日本と西洋の精神性の違いが鮮明に表れている。

「障子」:信頼という名の紙一枚

『鶴の恩返し』を隔てるのは、木枠に紙を貼っただけの「障子」である。

物理的には指一本で突き破れるほど脆いが、心理的には絶対の境界線として機能する。

ここでの「見るな」という言葉は、物理的な封鎖ではなく、相手の良心に委ねられた「信頼の懇願」である。障子は、異質な存在が共に暮らすための「聖域」を守る装置であり、それを破ることは相手の尊厳を蹂躙することを意味する。


「扉と鍵」:法的な封印と強制力

対して『青ひげ』を隔てるのは、堅牢な「扉」とそれを閉ざす「鍵」である。

鍵を渡すという行為は、権利の委譲であると同時に、法的な契約の成立を意味する。

見るな」という命令は、物理的な制約とセットになった「忠誠心のテスト」である。

鍵という道具が存在することで、この禁忌は「破られることを前提とした試練」へと変質する。

開けた瞬間に「鍵に血がつく(不可逆的な証拠が残る)」という設定は、契約違反が客観的に証明される法的な構造そのものである。

第三章:暴かれた後の「清算」と「断絶」

禁忌を侵し、真実を目撃した後の展開にも、両文明の死生観が色濃く反映されている。

闘争による略奪か、喪失による終焉


『青ひげ』において、秘密の露見は「戦闘」を意味する。

妻は駆けつけた兄たちの力を借りて青ひげを抹殺する。そこにあるのは、悪を排除し、その莫大な富を奪取して自らのものにするという、合理的で力強い解決だ。

対して『鶴の恩返し』では、露見は「永遠の断絶」を意味する。

おじいさんが目にしたのは支配者の悪意ではなく、恩人の「痛み」であった。

その痛みに気づいた時には、関係は修復不可能となり、相手はただ消え去る。

残された者は、自らの幸福が誰かの犠牲の上に成り立っていたという残酷な真実を抱え、立ち尽くすしかない。

支配者の正体:処刑される暴君と、去りゆく神

西洋の支配者は、法を破る者を殺そうとする「暴君」であり、最終的に人間によって処刑されるべき対象である。

一方、日本の支配者(異界の存在)は、自らを削って富を授ける「献身者」であり、最後は人間が触れられない空へ昇天する神聖な存在として描かれる。

第四章:「忘却」という救いと、「追憶」という罰

原典が示す結末は、二つの全く異なる「正義」「幸福」の着地点を提示している。

日本:愛を失い、業を背負う「追憶」の国民性


『鶴の恩返し』のおじいさんには、物質的な報いが一切ない

残された一反の布は、富の象徴ではなく、自らの過失で失った相手の「形見」であり、一生消えない後悔の象徴となる。

日本的なカタルシスとは、勝利や報酬ではなく「喪失による精神の純化」である。

自分の豊かさが誰かの犠牲の上に成り立っていたと知ったとき、その富を享受する資格はないとするのが、日本人の一般的な情緒や道徳観である。

己の傲慢さを恥じ、去りゆく恩愛を一生反芻し続けること。この「決して忘れない」という重い追憶こそが、一線を越えてしまった人間への静かなであり、唯一の供養なのである。


西洋:富を相続し、過去を消し去る「忘却」の正義

対して『青ひげ』の結末は、極めて現実的かつ世俗的だ。

ペロー版の原典において、妻は夫を殺害して莫大な遺産を手に入れる。

彼女はその富で兄や姉に地位と結婚を与え、自らも新たな夫を迎え、「以前の恐ろしい出来事をすっかり忘れて」幸せに暮らしたと記される。

ここには、正義は目に見える報酬(金や城)によって報われねばならないという確固たる信念がある。

過去の悲劇を切り離し、文字通り「忘れること」こそが、新たな生を勝ち取った者への正当な権利であり、救済なのである。

第五章:幸福の本当の対価

私たちはなぜ、禁じられた扉を開けてしまうのか。それは「幸福の正体」を確かめずにはいられないからだ。

西洋の寓話が説くのは、支配者に立ち向かい「権利と富」を勝ち取れという、生への強烈な意志である。

一方、日本の寓話が説くのは、他者の犠牲の上に立つ幸福の「危うさと恥」を知れという、深い内省である。

支配者を殺してその座を奪う西洋の「略奪的幸福」か。恩人に去られて己の過ちを噛み締める日本の「喪失的純化」か。

扉を開けた後に抱く感情の違いは、そのまま文明が選んだ生き方の違いである。

契約という名の「鍵」で未来をこじ開けるか、

情愛という名の「障子」に映る影を一生愛で続けるか

物語は今も、扉の向こう側を覗き見ようとする私たちに、「あなたが手にした幸福の本当の対価を、引き受ける覚悟はあるか」と問い続けている