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説得の技術者たち ーー(メンタリストDaiGo)

米国の駐車規制標識。「レッドゾーン」「罰金205ドル」「乗用車のみ」「緊急時レッカー移動」の記載あり。 メディア・言説の解剖学
米国の駐車禁止標識群。特に積雪時や緊急時には高額な罰金やレッカー移動が課されることを警告しています。
メディア・言説の解剖学
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権威の純化(科学によるマウント)

第一章 「科学」を纏ったメンタリストの再誕


情報の真偽が問われる不確かな時代において、人々が最も縋り付くのは「エビデンス(科学的根拠)」という名の聖書である。その聖典を誰よりも攻撃的に使いこなすのが、メンタリストDaiGo氏だ。

彼の説得力の根底には、極めて戦略的なキャリアの転換がある。

慶應義塾大学理工学部で物理情報工学を学んだ彼は、当初、人の心を操る「メンタリスト」としてメディアを席巻した。

しかし、彼はその手品師のようなパフォーマンスを早々に脱ぎ捨て、膨大な論文を読み解き解説する「知識のインフルエンサー」へと鮮やかに再誕してみせた。 

早口でまくし立てられる最新研究の結果と、画面を埋め尽くす圧倒的な蔵書。視聴者はその過剰なまでのインプット量に圧倒され、彼が語る言葉を個人の主観ではなく、「科学が証明した唯一の真理」として無批判に受け入れる。

彼は「自分」を信じさせるのではない。自分を支える「科学という権威」を信じさせることで、鉄壁の説得力を構築しているのである。

第二章 あらゆる悩みを「論文」に集約する


DaiGo氏が駆使する第一の技術は、人生の複雑な悩みや人間関係の機微を、すべて「オックスフォード大学の研究によれば」といった、特定の論文の結論へと純化させることだ。

本来、幸福や成功の形は人それぞれであり、置かれた状況によっても異なるはずである。しかし、彼はそれらを「脳のバグ」や「ホルモンの影響」といった無機質な科学的事象へと一気に置き換えてしまう。

複雑な文脈や個人の感情を「非科学的なノイズ」として排除し、数字とデータだけで世界を記述してみせるのである。

これは、深い内省を促すための対話ではない。悩みに科学的な名称を与え、即効性のある解決策(ハック)を提示する技術である。

視聴者は、自ら悩み、試行錯誤する苦痛を避け、彼が提示する「エビデンスという名の処方箋」を飲み込むことで一時的な安心感を得る。

著書『自分を操る超集中力』などに象徴される、思考のプロセスをデータに丸投げできる「効率性」。それこそが、彼の言葉が中毒的に求められる最大の要因となっているのだ。

第三章 「無知な羊」と「知識のハッカー」


DaiGo氏の説得を支えるもう一つの柱は、情報を持ち得ない者を徹底的に見下すことで作り出す、強烈な「上下関係」の構築である。

彼は、最新の論文や科学的なライフハックを知らない人々を「無知な羊」「搾取される側」として冷ややかに描き出す。

一方で、自らの配信プラットフォーム(Dラボなど)に集う視聴者を、知識を武器に人生を攻略する「選ばれし側(知識のハッカー)」として再定義するのだ。

このとき、画面の中には「感情に流される愚かな大衆」と「データに基づき合理的に動く賢明な自分たち」という、鮮明な境界線が引かれる。

視聴者は彼の辛辣な言葉に同調することで、「自分は社会の構造を見抜いている」「無知な連中とは違う」という強烈な優越感を抱く。

この「マウント」を介した連帯こそが、情報内容の是非を超えた中毒性を生み出し、視聴者を「こちら側」の世界へと繋ぎ止めるのである。

第四章 「ハック」という名の全能感


DaiGo氏の語り口は常に自信に満ち、迷いがない。

彼は、視聴者の内側に眠る「自分の力で人生をコントロールしたい」という支配欲求を静かに増幅させる。

「これをやれば、集中力が3倍になります」「この一言で、相手を思い通りに動かせます」。

こうした「ハック(攻略)」という言葉の響きは、視聴者に万能感を与える。

科学という権威を借りて、自分の弱さを克服し、他者より優位に立てるという幻想を抱かせるのである。

一度この「全能感」の味を占めた視聴者は、理性がデータの妥当性を精査する前に、感情が「もっと人生を効率化したい」という指令を下すようになる。

彼は、知的好奇心を刺激するフリをしながら、視聴者の「自分だけは損をしたくない」「他者より上に立ちたい」という根源的なエゴを、最も効率的な形で着火させているのである。

第五章  脆弱さを隠すための鎧

これらによって作り上げられたDaiGo氏の「知識の王国」は、混迷を極める現代における最強の攻略本に見える。しかし、果たして私たちを「賢くしてくれている」のだろうか。

視点を変えれば、彼はただ、私たちが抱える「自分が何者でもないことへの恐怖」に対し、最も即効性のある鎮痛剤を与えているに過ぎないのではないか。

私たちは、自らの弱さと向き合い、地道に試行錯誤するプロセスを「非効率」として忌避している。その代わりに、論文という権威を盾に取ることで、手っ取り早く「他者より優れている」という確信を得たいと願っている。

DaiGo氏という技術者は、その巨大な「自尊心の欠乏」に正確に応えているだけなのだ。

彼を「教祖」に仕立て上げたのは、知識を自らの血肉にするためではない。他者を見下すための武器として知識を欲した、私たち自身の「脆弱なプライド」に他ならないのである。

第六章 その「正解」は、誰のものか

彼が振るった技術の核心は、科学という営みを「対話」のためではなく、他者を圧倒する「マウント(支配)」のために純化させた点にある。

池上氏が「教養」で、ひろゆき氏が「論理」で、玉川氏が「不信」によって思考を停止させた。そして彼は、「科学という権威」を盾に取ることで、人々の思考を停止させたのである。

私たちは、彼の語るエビデンスを浴びることで、人生をハックしたかのような全能感に浸り、自らもまた「合理的な勝者」の列に加わったかのように錯覚する。

だが、どれほど「論文によれば」と唱えたところで、それはDaiGo氏が選別した断片的なデータに依存しているに過ぎない。

自らの価値観を練り上げ、データには現れない「割り切れない人生の重み」を引き受ける。そんな人間だけに許された非効率な勇気を放棄した先に、真の意味での自律は存在しないのだ。

私たちがその言説を受け入れ、「科学的に正しい」という一喝に耳を傾ける瞬間。その言葉によって、いかなる「個の葛藤」が葬り去られているのか。

そこにあるのは、効率化された人生という名の空虚な設計図と、それを「真理」として売り続ける技術者の、冷徹なクリック数だけである。




『納得感の解剖学|説得の技術者たち』
言霊(ことだま)――「発せられた言葉には、現実を動かす霊的な力が宿っている」。言葉の魔術師たちが放つ言説が感性を支配し、心地よい合意が作り上げられる。そのプロセスと様式美を分析。果たしてその『納得』は、意志か。それとも、用意された様式の帰結か。
『カオスの深層|世相・社会の解剖学』
 L『玉川徹・経済合理主義|その解剖学』


『知の深淵へ|童話・寓話の解剖学』