どこへ行った、あのバスは。
一帯一路「債務の罠」の現実と、日本が選んだ「乗り遅れる道」
第一幕:熱狂の残像――「バスに乗り遅れるな」と警鐘を鳴らした政治家たちの記録
「バスに乗り遅れるな」かつて、この国ではこのフレーズが、抗いようのない「正義」として語られていた。
2010年代半ば、日本の政治空間に「孤立」への強い焦燥感を持ち込んだのは、当時の野党第一党を率いた岡田克也氏であった。氏は、主要7カ国(G7)の中で日本と米国だけが不参加を貫く現状を危惧し、2015年4月の記者会見でこう警鐘を鳴らした。
「日本と米国だけが取り残されている。情報の取れる中にいなければ、日本の国益を損なうことになりかねない。バスに乗り遅れるかどうかという議論よりも、バスに乗るための条件を議論すべきだ」(2015年4月1日 民主党代表記者会見)。
氏は、外から批判するのではなく、中に入って国際標準のルールを作る側として関与すべきだという、責任ある「乗り遅れ回避」を政府に迫っていた。
この焦燥感は、元内閣総理大臣の鳩山由紀夫氏によって、より扇情的な言葉へと昇華される。
「日本は一帯一路に協力し、AIIBにも即刻加入すべきだ。バスに乗り遅れるどころか、バスがどこかへ行ってしまった状況だ」(2017年5月12日 産経新聞)。
やがてこの熱量は政府中枢をも動かし、当時外務大臣を務めていた河野太郎氏も、それまでの慎重路線を転換。
「一帯一路が国際社会の共通の考え方に沿うならば、世界経済に大いにプラスになる」と評価し、日中が協力して第三国の市場を開拓する方針を固め、現実的な協力関係の構築へと舵を切った(2017年11月18日 日本経済新聞 報)。
第二幕:黄金の設計図――「人類運命共同体」が描いたウィン・ウィンの理想郷
中国政府が世界に示したのは、一国による覇権ではなく、すべての国が主役となる「人類運命共同体」の構築であった。
その中核を成すのは、沿線諸国の開発戦略を互いに結びつけ、共に話し合い、共に建設し、利益を分かち合う「共商・共建・共享」という協力の原則である。
2017年のサミット開幕式で、習近平国家主席は「世紀のプロジェクト」としての抱負をこう語っている。
「私たちは、平和と協力、開放と包摂、相互学習と相互理解というシルクロードの精神を継承しなければならない。一帯一路は、すべての国に開放された、包摂的な発展の舞台である」(2017年5月14日 新華社通信)。
開発の回廊と「五通」
彼らが描いた設計図において、鉄道や港湾は、貧困を根絶するための「開発の回廊」であった。物理的なインフラを土台とし、貿易、資金、政策、そして人々の交流を深める「五通」という多角的連携によって、摩擦のない自由な経済圏を創出することが構想の到達点とされた。
それは、既存の枠組みでは解決できなかった地球規模の格差を解消するための、壮大な「ウィン・ウィンの協力」の舞台であった。
第三幕:慎重な足跡――自由で開かれた世界:ルールが支えるもう一つの希望
一方で、この潮流とは別の道に、より確かな「希望」を見出そうとした人々もいた。彼らが標榜したのは、国家の自立性と、国際的なルールに基づいた発展という未来像であった。
当時の安倍晋三首相は、2017年6月の講演で、協力の是非を問う声に対し、国際社会の共通のルールに合致するかという「四条件」を突きつけた。
「開かれたものであるか、透明性があるか、経済的妥当性があるか、そして借り手の国の借金が返せなくなるようなことがないか。これらを強く求めたい」(2017年6月5日 経済界での講演)。
また、麻生太郎財務相(当時)は、慎重姿勢を崩さぬ理由を、彼らしい比喩でこう語っている。
「(融資の)審査がちゃんと行われるのか。サラ金(消費者金融)の店先でお金を用意してもらったからといって、本当に幸せになるのかどうか。焦げ付いた時はどうするのかを考える必要がある」(2017年5月19日 閣議後記者会見)。
これらは、目先の商機以上に、持続可能な発展と相手国の主権を守ることこそが「正義」であるという、もう一つの希望の形であった。
第四幕:確定した現実――運営権譲渡という債務の罠
2026年現在、かつての熱狂から時が経過し、各地のプロジェクトは確定した現実を提示している。「一帯一路」の債務返済が滞った結果、担保のような形で実質的な管理権が中国側に渡った(いわゆる「債務の罠」の代表例とされる)事例には、主に以下のものがある。
1. スリランカ:ハンバントタ港
スリランカ政府は中国からの借入金で建設された南部ハンバントタ港の負債(約11億ドル)を返済できず、2017年に同港の運営権を99年間にわたり中国企業(中国招商局港口)へ譲渡する契約を結びました。
- 現状(2026年): 港の株式の約85%を中国側が保有し、運営を主導しています。2025年には中国企業による大規模な製油所建設も承認されるなど、中国のインド洋における重要な物流・戦略拠点としての性格を強めています。
2. パキスタン:グワダル港
パキスタンも深刻な外債危機に直面しており、中国・パキスタン経済回廊(CPEC)の目玉であるグワダル港の運営権は、既に2013年から43年間の長期リースという形で中国企業(中国海外港口控股)に委ねられています。
- 現状(2026年): 港の収入の91%が中国側に渡る契約となっており、パキスタン国内では「国家主権の侵害」や「植民地化」への批判が根強く、反政府勢力による港湾関係者へのテロも頻発しています。
3. ラオス:送電網(電力インフラ)
ラオスは中国からの多額の借金によりデフォルト危機に陥り、2020年に国家送電網の管理権を中国企業(中国南方電網)との合弁会社へ譲渡しました。
- 現状(2026年): 事実上、ラオスの電力インフラの大部分を中国側が管理・運営する体制となっており、国家のエネルギー安全保障が中国に握られた状態にあります。
その他の懸念地域
ラオス: 2021年に開通した中国・ラオス鉄道の負債も巨額であり、鉄道資産そのものが中国側の管理下に置かれるリスクが継続的に指摘されています。
ジブチ: アフリカの要衝にあるドレレ多目的港において、中国企業が株式を取得し運営に関与しています。同国には中国軍の初の海外拠点も隣接しており、経済・軍事の両面で依存を強めています。
「バス」からの離脱、そして計画の修正
イタリア:
2023年末、G7で唯一参加していたイタリアが正式に離脱を表明した(2023年12月6日 BBCニュース)。
フィリピン:
2025年にはフィリピンが南シナ海情勢を背景に、鉄道建設計画への融資要請を撤回。
中国はドゥテルテ前政権時代に複数の主要鉄道プロジェクト(ミンダナオ鉄道、ビコール線、スービック・クラーク鉄道)への融資を合意していましたが、具体的な資金提供や業者の選定リストの提出が長期間にわたり滞っていた。
2023年10月頃、フィリピン政府は中国側が融資への関心を失ったと判断し、鉄道プロジェクト3件の中国からの融資計画を正式に打ち切る方針を決定した。
中国政府自身も、巨額投資路線を修正し、小規模案件「小而美(小さくて美しい)」への重点移行を宣言。2025年の統計では、新規融資額はピーク時の約10分の1に減少している(2023年10月18日 習近平主席演説)。
第五幕:バスの通った道、通らなかった道。計画はどこで狂ったのか
あの日、停留所で分かれた二つの軌跡が、目の前に並んでいる。
バスが通った道には、かつての「繁栄の設計図」が物理的な質量を持って現れている。
一方、バスを見送り、かつて「孤立」や「損失」と形容された道にも、別の現実が横たわっている。
日本が「乗り遅れる」道を選んだ結果、アジアにおけるインフラ受注額で中国に水をあけられ、市場の一部で「規格の孤立」が発生している事実は数字として残っている([2025年版 世界銀行 報告書])。
イタリアは2019年に主要7カ国(G7)の中で唯一、中国と一帯一路に関する覚書(MOU)を締結。2023年12月23日、中国の「一帯一路」構想から「期待した経済的利益が得られなかったこと」を主な理由として離脱を正式に通告。
「日本と米国だけが取り残されている。」
岡田克也(談)
「バスに乗り遅れるどころか、バスがどこかへ行ってしまった」
鳩山由紀夫(談)
ほんとにね。バスはどこへ行ってしまったんでしょ。

L『納得感の解剖学|説得の技術者たち』
『知の深淵へ|童話・寓話の解剖学』


