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竹取物語異聞:なぜに、かぐやは月を追われた?(小説)

薄いピンク色の杏(あんず)の花が、青空と白い雲を背景に密集して咲いている様子 小説
小説
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実直な父を襲った「保身の生贄」と冷酷な数式。
天の羽衣を纏う直前、姫が遺した氷の瞳と最後の一言。

月の都の裏側で、ひとりの娘が静かに運命を受け入れる。
これは、誰も知らない「かぐや姫の真実」の物語。

第一章:絶望の汀(みぎわ)

「姫さま……おいたわしゅうございます……」

お声をかけると、かぐや姫さまは私の方を静かに振り向き、小さく息を吐かれた。

そこは都の栄華が尽き、色を失った水晶の礫(つぶて)が広がる終焉の地――。

天と地の境を断つ、凍てついた汀でございました。

かぐや姫さまは、遥か下方に浮かぶ青き星を、見下ろしていらっしゃいます。

「本来であれば、落ちぶれた御方(おかた)と口を利くことさえ、この身には許されぬのが月の掟」

「禁じられた境界(きょうかい)を越え、こうして通じる者は、その場で切り捨てられても文句は言えませぬ」

「なれど、姫さまの御傍(おそば)を離れることは、私にとって死に勝る耐え難いものでございます」


第二章:柔らかな掌(てのひら)

「歩みをお覚えになったばかりの頃、私の袖をその小さな指でぎゅっと握り、片時も離れようとはなさいませんでした。

あの柔らかな温もりを、今もこの掌(てのひら)が覚えております」

「朝な夕な、その烏(からす)の濡れ羽色した御髪(おぐし)を梳(と)かせていただくのが、私の何よりの誇りでございました。

鏡の中で私を見て微笑まれた、あのお顔の神々しさ……

「都の堅苦しい決まり事を嫌い、二人で庭の隅に隠れては、名もなき草花を愛でましたね。

他の方には見せぬ、あの悪戯(いたずら)っぽい瞳を……

私を取り囲む十人ほどの衛士(えじ)たちは、その言葉を黙って聞き届けておりました。

この地では、罪を犯した方と言葉を交わすだけで、同じ罪人と見なされて命を奪われます。

ましてや、追放される姫さまに声をかけるなど、本来なら許されない大罪です。

しかし、その罪を裁くことすらためらわれるほど、姫さまの美しさは、もはや月宮の掟すら霞ませるほどに極まっておりました。

無理もございません。衛士(えじ)たちはただただ、そのお姿に見惚れておりました。

毎日、お仕えしている私ですら眩(まばゆ)いほどの美しさでございます。

職務も、突き出した槍の重さも忘れたかのように、彼らはぼうっと姫さまを見つめることしかできないようでした。

しかし、私の喉元を狙う槍の穂先が、冷たく光っていることを私は忘れてはおりません。

「なれど、構いません。たとえこの場で喉を切り裂かれようとも、姫さまが『青き星」へ旅立つ前に、どうしても、どうしても、お会いしたかったのでございます」

「姫さまのお世話をすることが、私の幸せでした」

「いえ、姫さまのおそばにいられること、そのことこそが、私の何よりの幸せでございました」


第三章:五星帰一(ごせいきいつ)の祭

中務少輔(なかつかさのしょう)を務めておられた姫の父君は、帝(みかど)の覚えもめでたく、文書の管理から祭祀の差配までを一手に担う、実直で優秀なお方でございました。

五星帰一の祭五つの一族が守る神宝を一箇所に集め、一つの巨大な力――すなわち帝の永遠の命を成すための、月の都において最も重要な儀式にございます。

その祭祀の三日前。父君は中務少輔としての責務により、石作、車持、阿倍、大伴、石上の五つの一族が守護する神宝を、一堂に集めるよう命ぜられました

石作皇子(いしつくりのみこ) – 仏の御石の鉢
車持皇子(くらもちのみこ) – 蓬莱の玉の枝
右大臣・阿倍御主人(あべのみうし) – 火鼠の皮衣
大納言・大伴御行(おおとものみゆき) – 龍の頸の珠
中納言・石上麻呂足(いそのかみのまろたり) – 燕の子安貝 

五つの神宝は、代々それを守護する一族の継承者以外は触れることさえ、あるいは中身を検分することさえ許されぬ『禁忌』

父君の役目は、それら持ち寄られた品が定められた日時に、定められた場所に揃っているかを見届ける「奉納の見届け役」に過ぎません。

祭祀の前夜、父君は警護の任に当たるべく、神宝が一時安置された『清涼の間』の前に、独り静かに座しておられました。

五星帰一の祭の日。儀式が執り行われる奥津御殿(おくつみあらか)の広間は、一点の曇りもない静寂に包まれておりました。

中務少輔であられた父君の職務は、儀式の滞りなき差配でございます。

祭祀の場で、五つの箱から神宝が取り出され、五人の守護の徒は、それぞれの守護の役目として、自らの手で箱からその宝を取り出し、祭壇の所定の位置へと並べていきます。

祭壇に並べられた品々は、この宮殿の奥底から放たれる清らかな光を受けて神々しく輝いておりました。

五つの宝は、まばゆいばかりの光を放ち、まるでそれぞれが意思を持つかのように、祭壇の上で脈動しておりました。

それは、まさしく三千世界に二つとない、真の神宝でございました。」

やがて五星帰一の祭は、何一つ障りもなく、完璧に執り行われました

帝の御命(ぎょめい)はこれで永遠となる――

誰もがそう確信し、宮中には安堵の吐息が漏れておりました。


第四章:微かなる綻び

帝(みかど)の御不例(ごふれい)が報じられたのは、祭祀(さいし)から三日目の朝のことでした。

病の原因を問う者など誰一人としておりません。
ただ「不吉である」という一点が、内裏を支配する空気を一変させたのです。

その日の昼下がりには、女官たちの間で、既に奇妙な噂が囁かれ始めておりました。

「ねえ、聞いた? 祭祀の前夜、中務少輔様が神宝の『清涼の間』の周りを、お独りでずっと徘徊しておられたそうよ

「まあ、本当? 夜通し警護に当たっていたのは存じているけれど、お独りで、ですって?

噂は羽が生えたように広がり、やがて鋭い棘(とげ)を帯びていきます。

「帝の御病気は、あの夜の呪詛が原因ではないか」

「そういえば、中務少輔様は、他の者には決して箱を触らせなかったとか

誰もが知る「月の掟」と、「父君が独りでいた」という二つの事実が、
悪意という糸で繋ぎ合わされていくのに、時間はかかりませんでした。

それは、何気ない、事の次第を知らぬ下級役人たちの一言が発端でした。

「……中務少輔殿は、実直すぎる。前夜も独りで、あんなに何度も『清涼の間』を確認しなくてもよいものを」

ただ、それだけのことだったのです。

しかしその言葉は、ある女官の口を経ることで、次の部屋ではこう姿を変えました。

「中務少輔様は、前夜、何度も独りで清涼の間に入っておられたそうよ。よほど中身が気になったのかしら」

夕刻には、さらに夥(おびただ)しい尾ひれがつきました。

独りで箱を改め、何やら怪しげな細工をしていたのだとか」

「帝が病に倒れることを、あの方は最初から知っていたのではないか

昨日まで父君の誠実さを讃えていた近習(きんじゅ)たちも、一度その「疑念」を耳にすれば、途端に過去のすべてを悪意で塗り替え始めます

一睡もせず部屋の前に端座していたという、あの献身極まる行動さえ、

「誰にも見られぬうちに中身へ不浄を施すためだった」

と、真逆の罪に転じさせられていくのでした。

確かな証拠など、何一つないままに。

第五章:冷酷な数式

帝(みかど)の御不例(ごふれい)から七日。

召喚された父君に対し、裁判の長である刑部卿は、

「祭壇に供えられた神宝から、禍々しき『不浄』が検知された。もはや言い逃れはできぬ」

「中務少輔(なかつかさのしょう)殿。あの日、五家より献じられた神宝を祭壇へと運ばせたのは、儀式の責任者である貴殿の差配であったはずだな」

父君がそれを肯定されると、刑部卿は左右に居並ぶ五人の証言者へと視線を転じました。

石上の中納言、大伴の大納言、阿倍の御主人、車持の皇子、そして石作の皇子。
五人の守護の徒は、彫像のような凍りついたな眼差しで、父君の立つ場を見据えております

守護の徒を代表し、石上の中納言が一歩前へと進み出ました。

その声は低く、感情の起伏を排した淡々とした響き。
それがかえって、逃れがたい重圧となって場を支配します

「中務少輔殿。……沈黙されているのは、賢明な判断だ。あの日、我ら守護の徒が奉納した神宝に不浄が混じっていた。

それが事実である以上、我ら五家が帝を呪ったか、あるいは差配を独占した貴殿が細工を施したか……理(ことわり)は、

その二つに一つしかござらぬではないか」

「では、改めてお尋ねしよう」

「貴殿は、我ら五家すべてを『呪詛を奉じた不届き者』として、朝敵に定めるおつもりか?

我ら一族を不浄と断ずることは、この都の秩序そのものを否定するに等しい」

「もし貴殿が、あくまでも己の潔白を主張されるというのなら……
それは即ち、我ら五家すべてが偽りを申していると、そう断定されることと同じではないか」

「ならば、残る道は一つ。奉納後、貴殿が差配を独占せし夜に、何事かが起きたと見るのが宮廷の道理

……左様なことが、あってよいはずもなかろう」

「一介の役人に過ぎぬ貴殿が、その妄言の全責任を背負い、この都の安寧を覆そうというのか

それを受け、刑部卿は澱(よど)みなく言葉を継ぎました。

「貴殿が夜通し行われた『完璧な警護』の記録こそが、貴殿以外に神宝へ干渉し得た者がいなかった証である」

「五家すべてを疑うより、差配に当たっていた貴殿一人の『過失』あるいは『野心』を問う方が、理に適(かな)うというもの」

「前夜、ただ独りで神宝を差配していたのは貴殿である。

清浄であったはずの品に、いつ、誰が不浄を紛れ込ませる余地があったか――

「職務上のすべてを掌握し、かつ唯一の機会を独占していた者が、その結果に対し責任を負う。
それがこの都の『差配(さはい)』というものだ」

父君がその場で兵に拘束されたとき、姫さまは御簾の向こう側で、そのすべてを視界に収めておられました。

叫びもせず、涙も流さず。ただ、白き指が御簾を握りしめる音だけが、密やかに響いておりました。

父君を陥れたのは、悪意ある叫びではなく、逃げ場のない「役職の責任」という名の、冷酷な数式に他なりませんでした。


第六章:除名の宣告

「中務少輔(なかつかさのしょう)殿、宣旨(せんじ)である。帝(みかど)を呪詛し奉り、神宝を損ぜし罪――。死罪一等を減じ、遠流(おんる)に処す。行き先は『赤き星』と決まった」

刑部卿(ぎょうぶきょう)によるその宣告は、事務的な片付けのようにも聞こえました。

「これより貴殿の位階を剥奪し、官位を解く。屋敷は没収、財産は公収とする」

父君はその場で官衣を剥ぎ取られ、質素な布衣(ほい)へと着替えさせられました。

それは単なる装いの交換ではなく、都で築き上げてきた尊厳の消滅を意味しておりました。

翌朝、夜明けを待たずして、父君を乗せた粗末な網代車(あじろぐるま)が検非違使(けびいし)の監視下で都を立ちました。

遠流は、事実上の死刑に等しい過酷な旅路でございました。病や飢え、あるいは慣れぬ土地の風土病により、都へ生きて帰れる者など稀(まれ)であったからです。

一族もまた「連座(れんざ)の恐怖」に怯え、あの日まで華やかだった邸宅からは、潮が引くように人の気配が消えていきました。

主(あるじ)を失った柱には封印がなされ、丹精された美しい庭は、ただ荒れ果てるに任されるばかり。

かつての賑わいは、もはや遠い幻のようでございました。


第七章:連座の沙汰

父君に流罪の宣旨が下ると同時に、刑部卿の指揮のもと、祭壇に捧げられていた五つの神宝に対し、直ちに『還収(げんしゅう)』の手続きが執行されました。

還収――。それは、罪人の手に触れて穢(けが)れた品を、公権力によって強制的に取り上げ、清浄なる場へと回帰させる儀式。

「これら神宝は、中務少輔という『不浄の者』の手を離れ、本来の持ち主である五家へと返還される。これこそが、正しき理(ことわり)である」

刑部卿が冷徹に宣言したその言葉に、私はただ、血が滲むほどに唇を噛み締め、見守るほかございませんでした。

刑部卿の宣言が下るや否や、控えていた五家の一団が地鳴りのような足音とともに進み出ました。

石上の中納言、大伴の大納言、阿倍の御主人、車持の皇子、石作の皇子。

五人の主(あるじ)たちは、数多の家臣や衛士をさながら戦勝の凱旋のごとく仰々しく引き連れ、祭壇を包囲しました。

その威圧感は、もはや祭祀の場を戦場へと変えんばかりの勢いでございます

金銀をあしらった豪奢な輿(こし)が運び込まれ、かつて父君が命懸けで守り抜いた神宝は、彼らの勝鬨(かちどき)にも似た喧騒の中に飲み込まれてゆきます。

罪人として引き立てられる父君の傍らを、権勢の誇示を尽くした大行列が、嘲笑うかのように風を切って通り過ぎてゆく――

こうして五つの神宝は、それぞれの「あるべき場所」へと、持ち帰られていったのです。

最終章:氷の瞳

父君の流罪が決まった後、刑部卿は追って次のような沙汰を下しました。

「罪人・中務少輔の娘、かぐや姫は、父の罪に連座し、都からの追放を命ずる。行き先を、青き星とする」

八月十五日の夜でございました。
本来ならば、民たちが安寧を願い、歓喜に沸くはずの「澄月祭(ちょうげつさい)」の刻(とき)

光が極まるその瞬間が、姫さまが遠き青い星へと旅立たれる、処刑の刻限に定められたのでございます。

月の都の境界――。
天と地の境を断つ、凍てついた汀(みぎわ)

「……せめて、あの庭の草花のことだけでも、覚えておいてはくださいませんか」

私の震える声も、凍てついた汀を吹き抜ける風にかき消されてゆきます

遠くから、重々しく牛車の音が聞こえてまいりました。

「隠れろ!」

衛士(えじ)の一人が短く叫ぶと、私は急いで近くの岩影へと身を潜めました。

牛車からは、帝の命を受けた典侍(ないしのすけ)が、天の羽衣を捧げ持ち降りてまいります。

そして、一巻の沙汰が冷ややかに読み上げられました。

「穢(けが)れの地へ下る者よ。月宮を汚さぬよう、その衣にて一切の記憶を断ち、無へと還るべし

姫さまは、差し出された衣を静かに見つめ、ふと顔を上げられました。

その時、岩陰に隠れていた私と、まっすぐに目が合ったのでございます。

姫さまの瞳は

氷の瞳でございました。

それから、ひとこと

「これで、すべてを、忘れられるものなのかしら……」

と、つぶやくと、

自らその白い光の衣を手に取り、静かに羽織ると、振り返ることなく、ただ『青き星』へと墜ちていかれました。


この物語で描いた「月界の掟」と「記憶の抹消」については、
考察記事でさらに詳しく掘り下げています。
なぜに「かぐや姫」の歌は存在しないのか?(考察)