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第3話:父との闘い――「小説の神様」を生んだ最も深い傷

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第3話:父との闘い――「小説の神様」を生んだ最も深い傷
文学・文壇
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1.  旧家の重圧と家父長制の象徴――父・志賀直温という巨大な権威

志賀直哉の文学の核心には、父・志賀直温との長く深い不和が横たわっている。結婚問題をめぐる対立、家父長制への反発、そして十数年にわたる断絶。この親子の軋轢こそが、志賀の私小説を形づくり、後に「小説の神様」と呼ばれる文体を生み出す原動力となった。

志賀直哉は、旧相馬中村藩の家老を祖父に持ち、父・直温は鉄道・保険事業を手がける成功した実業家だった。裕福で格式ある家に生まれた志賀にとって、父は絶対的な権威であり、家父長制の象徴そのものだった。

青年期に傾倒した内村鑑三らのキリスト教的倫理観――清潔、正直、罪の意識――は、父の権威と衝突し、志賀の内部に“正しさ”への強迫を生む。この緊張が、後の「清潔な文体」の背景となる。

直温は息子の進路や結婚に強く介入し、志賀の人生を「家の都合」で決めようとした。この圧力が、後の決定的な断絶の火種となる。

2. 「清潔な文体」の源泉――キリスト教的倫理観と父への反抗心

志賀が最も愛した女性・米子との結婚をめぐり、父・直温は強硬に反対した。志賀はこれに激しく反発し、親子関係は決裂する。

  • 直温: 家の格式を守るため、結婚を認めない
  • 志賀: 個人の感情を否定する父を「暴君」とみなす

この対立は十数年にわたり続き、志賀は父を避けるように尾道、我孫子、京都へと転居を繰り返す。しかし皮肉にも、その転居費用や生活費はすべて父からの仕送りで賄われていた。さらに、父との断絶後は祖父・直道も志賀を支援したと記録されている。

志賀は父を憎みながら、家の資産に依存せざるを得なかった。この矛盾が、彼の私小説に独特の緊張感をもたらすことになる。

3. 十数年に及ぶ断絶と皮肉な依存――憎悪を支えた「父からの仕送り」

1917年、志賀は父との葛藤を題材にした代表作『和解』をわずか15日間で書き上げる。作中で主人公は父と和解するが、これは志賀自身の願望を投影した“文学的処理”に過ぎなかった。

実際の親子関係は、その後もしばらく冷え切ったままだった。志賀の内部には、父を赦したいという宗教的な衝動と、赦せないという現実が同居していた。

4.  名作『和解』の真実――15日間で書き上げられた“文学的処理”の裏側

1929年、父・直温が死去。志賀は莫大な遺産を相続し、経済的に完全な自由を手に入れる。

この遺産が、

  • 数年単位で筆を止める「沈黙」
  • 20年をかけた『暗夜行路』の完成
  • 奈良・高畑サロンの建設
    といった、志賀独自の創作スタイルを可能にした。

『暗夜行路』の20年には、何度も“書けなくなる”時期があった。志賀は納得がいかなければ筆を止め、沈黙を選んだ。この沈黙は、精神の問題ではなく、「家の資産」が支えた沈黙だった。

5. 沈黙と『暗夜行路』の完結――莫大な遺産がもたらした「創作の自由」

志賀直哉の文学は、父・直温との闘いなしには語れない。家父長制への反発、依存と拒絶の矛盾、そして和解への渇望。これらすべてが、志賀の私小説を支える“核”となり、後に「小説の神様」と呼ばれる文体を生み出した。

父との不和は、志賀にとって最大の傷であり、最大の創作源でもあった。そして皮肉にも、志賀は晩年、自らが最も憎んだ“父”の姿に近づいていく