日本語を捨てよ、と神様は言った
1. 志賀直哉の衝撃提言――日本語は近代国家に不向きな“欠陥言語”か
1946年4月、雑誌『改造』復刊第1号に寄稿した論文「国語問題」で、志賀直哉は驚くべき主張を展開した。
「日本は此際、思ひ切つて世界中で一番いい言語、一番美しい言語をとつて、其を国語にするのがいいと思ふ。……フランス語が最も適当ではないかと思ふ」
志賀は、日本が戦争へ突き進んだ背景に、日本語の「曖昧さ」があると断じた。主語が不明確で論理が成立しにくい日本語は、近代国家には不向きな“欠陥言語”であり、国語として捨てるべきだというのである。
2. 「フランス語を国語に」――文体を極めた男が抱いた自国語への絶望
志賀の極論と奇妙に呼応するように、同時期の GHQ(連合国軍最高司令官総司令部)もまた日本語を問題視していた。米国教育使節団は、日本語を「民主化を阻む壁」と見なし、次のような仮説を立てる。
- 漢字という複雑な文字体系の習得に時間を奪われる
- その結果、政治を批判する知性が育たない
- 軍国主義の温床は漢字にある
志賀の論文からわずか一ヶ月後、GHQは「漢字廃止・ローマ字化」を推進すべきだとする報告書を提出した。ここでは、志賀の主観的絶望と、占領軍の冷徹な統治戦略が“奇妙に重なった”のである。
3. GHQの統治戦略との呼応――軍国主義の温床は「漢字」にあるという仮説
1948年、GHQは自らの仮説を検証するため、全国規模の「日本字能力調査」を実施する。しかし、その結果は識字率97.9%という、世界でも類を見ない驚異的な数値であった。
この調査によって、「日本人は漢字のせいで非民主的である」というGHQの前提は根底から崩れ、漢字廃止論は根拠を失って頓挫することとなった。
4. 孤立した志賀の極論 ―― 自国語否定の行き着いた先
GHQの政策が撤回された後も、志賀の「フランス語採用論」だけが、文学史の中に奇妙な孤島として残った。かつて日本語の文体を極めた男が、自国語を最も激しく否定したという逆説は、今もなお議論を呼び続けている。
志賀の提言は、敗戦直後の絶望が生んだ“極限の思想”であり、同時に「小説の神様」が抱えた日本語への深い不信の証でもあった。
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