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カチカチ山異聞:泥舟の後の、終わらない夜(小説)

白いウサギが土の上に座っている様子。明るい日差しの中で、ウサギの白い毛並み、周囲の乾いた土、落ち葉、小石がはっきりと写っている。 小説
「カチカチ山」における、二つの正義の「断絶」を象徴する光と影の構図。
小説
この記事は約11分で読めます。

誰もが知る「カチカチ山」は、決して子供向けの教訓劇ではない。

そこにあるのは、剥き出しの生存本能と、潔癖すぎる正義がぶつかり合った末の、救いなき虐殺の記録である。

なぜ、ウサギはあのような苛烈な「手順」を踏まねばならなかったのか。

なぜ、泥舟が沈んだ後もなお、この物語には夜が居座り続けているのか

まずは、すべての始まりとなった惨劇の記録から、その幕を開ける。

「カチカチ山のお話は、こうでした。」

カチカチ山:第一幕

昔々、あるところに、お爺さんとお婆さんが暮らしておりました。
お爺さんの畑を荒らす悪いたぬきを、お爺さんは捕まえて梁(はり)に吊るしました。

「今夜はたぬき汁だ」

お爺さんが山へ柴刈りに出かけたあと、残されたお婆さんは一人で麦を搗(つ)き始めました。
吊るされたたぬきは、泣き真似をしながらお婆さんにこう言いました。

「お婆さん、腰が痛かろう。縄を解いてくれたら、麦搗きを手伝ってあげるよ」

お婆さんはたぬきを哀れに思い、その縄を解いてやりました。

ところが、自由になった途端、たぬきはお婆さんから杵(きね)を奪い取り、そのままお婆さんを打ち殺してしまったのです。 

たぬきはお婆さんの肉で汁を作ると、今度はお婆さんの姿に化けて、お爺さんの帰りを待ちました。
何も知らないお爺さんは、出された汁を食べてしまいました。

たぬきは正体を現すと、

「婆(ばば)食ったじじい、流しの下の骨を見ろ」

と囃し立てて、山へ逃げ帰っていきました。 

お爺さんが泣き崩れているところへ、一羽のウサギがやってきました。

「お爺さん、どうして泣いているのですか」

事情を聞いたウサギは言いました。

「僕が、お婆さんの仇(かたき)を討ってあげましょう」 

後日、ウサギはたぬきの家を訪ね、知らん顔をして誘い出しました。

「たぬきさん、一緒に山へ柴刈りに行きませんか

たぬきは喜び、ウサギについて山へ行きました。 


第二幕:カチカチ山とボウボウ鳥

ウサギに誘われるまま、たぬきは山へ柴(しば)を刈りに行きました。

二人はそれぞれ大きな柴の束を背負い、家路につきます。前を歩くのはたぬき、後ろを行くのはウサギです。

ウサギは懐から火打ち石を取り出すと、たぬきの背負った柴に火をつけました

「カチ、カチ」

乾いた音に驚いたたぬきが尋ねました。

「おや、ウサギさん。今の『カチカチ』という音は何だい?」

ウサギは表情一つ変えず、平然と答えました。

「ああ、あれはカチカチ山の『カチカチ鳥』が鳴いているのさ」

たぬきは「そうか」と納得し、そのまま歩き続けました。

しかし、火は乾いた柴にじわじわと燃え広がり、やがて「ボウ、ボウ」と大きな音を立てて燃え上がり始めました。

たぬきが不審に思い、また尋ねました。

「ウサギさん、今度の『ボウボウ』という音は何だい?」

ウサギはまた、何でもないことのように答えました。

「ああ、あれはボウボウ山の『ボウボウ鳥』が鳴いているのさ」

その直後、火はたぬきの背中一面に燃え移りました。

「熱い、熱い!」

たぬきは大火傷を負い、叫びながら山中を転げ回りました。

ウサギは、その様子を黙って見届け、静かに山を下りていきました。

第三幕:辛子(からし)の薬

背中に大やけどを負ったたぬきは、家で寝込んで苦しんでいました。

そこへ、ウサギが再び知らん顔をして、見舞いにやってきました。 

「たぬきさん、大やけどをしたそうですね。いい薬を持ってきましたよ

そう言ってウサギが差し出したのは、辛子(からし)をたっぷり混ぜ込んだ味噌でした。

何も知らないたぬきは、「それはありがたい。背中に塗っておくれ」とうさぎに頼みました。

ウサギは、たぬきの焼け爛れた背中に、その辛子味噌をこれでもかと塗りたくりました

傷口に辛子が染み渡り、たぬきはあまりの激痛に、

「痛い! 痛い! 染みる、染みる!」

と叫んで跳ね回りました。

ウサギはしれっとした顔で、「いい薬は、よく染みるものですよ」

と言い置いて、帰っていきました

第四幕:泥舟の結末

背中の火傷(やけど)がようやく癒えたころ、ウサギは三度たぬきの元を訪れました。

「たぬきさん、今日は一緒に湖へ魚獲りに行きませんか

たぬきは喜び、「それはいい、一緒に行こう」と答えます。

湖に着くと、ウサギは二つの舟を用意していました。

一つはウサギが乗るための木の舟

もう一つは、たぬきに乗らせるための、大きく立派に見える泥の舟でした。 

「たぬきさんは体が大きいから、この大きな泥の舟がいいでしょう」

ウサギに言われるまま、たぬきは泥の舟に乗り込み、二匹は湖の真ん中へと漕ぎ出しました。

ところが、しばらくすると泥の舟は水を含んで柔らかくなり、バラバラに崩れ始めました

「ウサギさん、舟が溶けていく! 助けてくれ!」

慌てて叫ぶたぬきに対し、ウサギは冷たく言い放ちました。 

「お婆さんを殺して、お爺さんに食べさせた報いだ。思い知れ!」

ウサギは、助けを求めてすがりつこうとするたぬきの頭を、持っていた櫂(かい)で叩き沈めました。たぬきはそのまま、深い湖の底へと沈んでいきました。

こうしてお婆さんの仇(かたき)を討ったウサギは、お爺さんの元へ帰り、二人で泣きながらお婆さんの冥福を祈ったということです。

めでたし、めでたし

「昔話『カチカチ山』のあらすじより」

しかし、物語はここで終わらない。

第五幕:泥舟の後 ――復讐の果ての孤独な対峙

1. 湖底からの亡霊――静寂を切り裂く「死者だけの水」の訪問

湖に静寂が戻って数年。

お爺さんの傍らで「正義の象徴」として平穏に暮らしていたウサギの前に、その夜、泥にまみれた影が現れた。

湖底の泥をまとったままの亡霊は、滴り落ちる水が縁側に落ちても音を立てなかった。

冷たさも重さもない、死者だけの水だった。

2. 生存の道理と世界の修復――タヌキの「生」 vs ウサギの「景色」】

亡霊となったたぬきは、恨み言を叫ぶのではなく、ただ静かに笑って問いかけた。

「なあ、ウサギ。俺が婆ぁを食ったのがそんなに罪か? 」

俺はあの時、縛られ、釜を沸かされ、食われる寸前だったんだ。

生きるために相手を殺し、腹を満たす。

山で生きる俺たちにとって、それ以上の『正しさ』がどこにある?

俺は、俺の命を最後まで諦めなかっただけだ。

この俺という存在を、理由もなく奪い去る権利があったのか?

ウサギは、震えもしなかった。澄んだ瞳で、泥の影を見据えて答える。

「権利なんて、最初から興味はないよ。

君が生きたかったように、僕は、お婆さんが殺されて歪(ゆが)んでしまったこの世界の『秩序』を元に戻したかっただけだ。

「君というを消せば、お爺さんの世界は元の平穏を取り戻す。僕は僕の信じる平穏のために、そこにあってはならない君を消したんだ。

君の必死さなんて、因果を精算する手続きを進める妨げにはならなかった。

3. 平行線の決着――分かり合えぬまま孤独に閉じ込められる二人】

「……平行線だな。お前は俺を見ていない。俺もお前を理解できない」

「ああ、そうだね。

僕たちは最初から、生きることを求める側と、因果を正す側との違いだ。分かり合えるはずがないんだよ」

たぬきの亡霊は、ウサギを呪い殺すことすらしない。

ただ、自分が否定されたまま消えゆく虚しさを抱え、ウサギは自分が「正しいことをした」という確信の中に孤独に閉じ込められる。

4. 告発の章:罪の逆転――「生存のための殺生」と「娯楽としての拷問」

「罪を認めろだと?

笑わせるな。あの時、俺が婆ぁを殺さなきゃ、俺が汁になってたんだ。

俺は、俺が明日も生きるために、目の前の敵を排除しただけだ。それがこの世の道理だろうが!」

泥まみれの亡霊が、ウサギの喉元に顔を寄せる。

「だがお前はどうだ。お前が俺にやったことは、ただの『残酷なお遊び』だ。……思い出させてやるよ。

お前が積み上げた、あの吐き気のするような手順をな

たぬきは、一つずつ、自らの体に刻まれた呪いを数え上げる。

5. 一つ目の呪い:火――「カチカチ鳥」という名の冷酷な嘘

「まずは『火』だ。お前は笑顔で柴を背負わせ、背後から火打ち石を叩いた。

「あの日は、朝から山が荒れていた。

枝がしなるほどの風が吹いていたのに、昼前には急に弱まって、 生ぬるい湿気を含んだ風に変わった

あの状態で火を扱えば、ひとつ間違えば山が燃えるか、風向き次第では、山肌が丸裸になる。

それでもお前は、迷いなく火をつけた。

熱さにのたうち回る俺に、『カチカチ鳥だ』と平然と嘘を吐きやがった。

……生きるために食った俺と、

慰みもの」のように俺を焼いたお前、どっちが化け物だ?

ウサギは、感情を排した瞳でそれを見つめている。

6. 二つ目の呪い:辛子――薬を装った治療なき拷問の記憶

「次は『辛子』だ。

あの日の光は、残酷なほど穏やかに家の中にまで届いていた。この陽だまりを全身に浴びることができたなら、いくらか快復も早まるのではないか。

そんな淡い幻想を抱きながら、窓の向こうで輝くお日様を、まぶたの裏に描いていた。

そこへ、お前がやってきて、火傷で皮が剥け、生身が露出した俺の背中に、お前は『薬だ』と言ってあの真っ赤な辛子を練り込みやがった。

……あれは治療じゃない。俺が絶叫し、狂い回るのを眺めるための、ただの拷問だ。

お前の中に、一片の慈悲でもあったか?

「……」

7. 三つ目の呪い:泥――慈悲を裏切った者に与えられる「等価値の絶望」

「最後は『泥』だ。水を含んで溶けゆく舟の上で、死に物狂いで手を伸ばした俺を、お前は木の櫂(かい)で叩き沈めた。

足元から舟が消え、水が上がってきた時、刺すような冷たさが這い上がってくる。

水の中に沈むと鼻を突くのは、あの淀んだ泥の匂いだ。

そんな中……一思い(ひとおもい)に殺すことすら拒み、俺が泥水を飲んで悶(もだ)え死ぬのを、お前は最後まで見届けていたんだ」

お前が魚獲りに誘いに来た時、傷はまだ痛み、ろくに食い物が喉を通るような状態ではなかった。

だが、食わねば死ぬ。死ねば、俺という命が途絶える。

あの曇天の寒空だからこそ、魚が獲れるだろうと思った。

晴れた日は水面が明るすぎて、魚は警戒して底に潜む。

だが、空が暗く陰れば、奴らは餌を求めて動き出す。

水辺に生きる獣の間で、古くから語り継がれてきた知恵だ。

俺は、その知恵を信じ、生きるために、お前の誘いに乗った。

たぬきの恨みは、もはや「老婆の仇」という枠を超え、ウサギという「正義という名の通り魔」への憎悪に変わっていた。

「……生きるためにやった俺。手順のために殺したお前。

この復讐の連鎖を始めたのは、お前だ

お前が俺を沈めるたびに、この地獄は何度でも繰り返される。……お前は一生、その白い毛並みを俺の泥で汚し続けろ

8. 儀式の真実――身勝手な「熱」を肉体で受け取らせる世界の調律

縁側。月明かりに照らされたウサギの瞳は、湖面のように凪いでいた。

たぬきの言い分をすべて受け流したあと、ウサギは静かに口を開く。

「たぬきさん。君は僕を『なぶり殺しの化け物』と呼びましたが

……それは大きな勘違いですよ。

僕が踏んだ手順は、君が老婆に対して犯した『不均衡』を、一分一厘の狂いもなく相殺するための儀式です。

一つずつ、あなたの言葉を正してあげましょう」

ウサギは、たぬきの告発を一つずつ潰し始める。

「まず、背中のだが、君は『皮を焼かれた』と言いましたが、あれは君が老婆を釜に放り込もうとした際の、その身勝手な『熱』を、君自身の肉体で受け取らせたに過ぎません。

「あの日、荒れる風の中で私は知っていました。

『風の向きが変われば、空が泣き出す』という伝承を。

葉裏が返り、山の匂いが濃くなり、鳥が黙り込む。

それらは風の勢いが衰え、雨が降り落ちる前の、静かなる前触れ

私はその徴(きざし)を見逃さなかっただけなのです。あなたが、知る由もないのは、承知だが、あの後、大雨になりましたよ」

君の柴に火がついたとき、この景色は、ようやく『正しさ』を取り戻したのです

9. 激痛という通貨――鈍磨した神経を覚醒させる「自覚」のための辛子

たぬきが言葉を返そうとするのを、ウサギは冷たい眼差しで制した。

「次に、傷口の辛子。あれを拷問だと言いましたね。

……いいえ、あれは『自覚』です。

君は老婆を殺したとき、相手の痛みを想像だにしなかった。

だから僕は、辛子という刺激をもって、君の鈍磨した神経を無理やりにでも覚醒させた。

焼け爛れた肉に辛子が染みたあの激痛こそが、君という獣が、老婆に与えた恐怖への正当な報いだったのですよ」

10. 負債の精算――ウサギの正義がタヌキの言い訳を「一文字」も許さない理由

ウサギは一歩、泥の亡霊へ詰め寄る。

「最後は、泥のだ。君は『助けを求めた手を叩き落とした』と言いましたね。……当然です。

君が老婆に『麦搗きを手伝う』と嘘を吐き、情けを乞うて縄を解かせた、あの『慈悲の裏切り』

それと全く同じ絶望を、君にも味わってもらう必要があった。だからこそ、水の冷たさも、泥の匂いも不可欠だった。

君が魚の動きを読み、生を掴もうとしたように、私は天の動きを読み、君に報いを与える時を待った。

君が沈みゆく泥のなかで掴もうとした僕の手は、あの日、君が裏切った老婆の慈悲そのものだったのです」

「……っ、ふざけるな……! そんな、理屈が……!」

「理屈ではありません。人を殺した報いを受けるのは、世界の自明の理です。 

そこに君の意志が介在する余地はありません。ただ、傾いた天秤が元に戻った。それだけのことです」

君は生きるために奪った。

僕は、その『奪った分』を、君の絶叫で支払わせた

……どちらかが折れる必要も、謝る必要もない。

ただ、僕が君を完璧に削り取った。

……たぬきさん、

君の言い訳は、僕の積み上げた手順の前では、一塵(いちじん)の重みもありません」

11. 白濁する夜明け――光に灼かれ、透けゆく泥の怨念

東の空が白み始め、夜の闇が薄い灰色に溶け出していく。

風は一度も吹かなかった。

庭の竹は、まるで時間を忘れたように静止している。

縁側に立つ泥まみれの影は、その光に灼かれるように、足元から透け始めていた。

12. 獣の意地と絶対的な壁――交わることのない「二つの正しさ」

「……結局、何も変わらねえな、ウサギ。

お前は一生、その綺麗で冷てえ殻の中に閉じこもって、自分の『手順』を拝んでろ。

お前が俺を沈めるたびに、俺の生への執念はお前の白粉(おしろい)の下にこびりついて、絶対に離れねえからな。

たぬきは、最後までウサギを「化け物」と呼び、呪いのような言葉を吐き捨てた。

それは、どれほど踏みにじられても、自分の「生存」という足場だけは絶対も譲らないという、獣の意地だった。

ウサギは、消えゆく影を座ったまま見届ける。

「たぬきさん。夜が明けますよ。……君の言う通り、僕たちは何も変わらない。

君は泥の中へ。僕は、この静かな庭へ。

互いに自分の正しさを抱えたまま、終わることのない平行線をなぞり続けるだけです」

温度のない声で突き放したそれは、相手を理解することを拒絶し、「過去のこと」として割り切ろうとする、ウサギの絶対的な壁だった。

13. 日常への回帰――毛並みを整え、お案を淹れる「化け物」の平穏

ウサギはゆっくりと立ち上がり、乱れた毛並みを一本一本、丁寧な動作で整え始める。

「さて。お爺さんが起きる前に、お茶の用意をしなくては」

ウサギは独り言ち、平然とした顔で台所へと歩き出した。

その背中に向かって、たぬきは鼻で笑い、つぶやくように言った。

「また来るよ。決着が付くまでな。……どうせ、お前もそう思ってんだろ……

「終わらねえよ。俺たちの夜は、まだまだ続く。」


この物語の背後にある構造と、泥舟の後に続く“終わらない夜”については、
カチカチ山を読み解く|火・辛子・泥が示す“正義の儀式”