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第8話:病と空書──書きたいのに書けない

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第8話:病と空書──書きたいのに書けない
文学・文壇
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直木三十五、疾走の終盤

直木三十五の人生は、 常に「書くこと」と「生きること」が同義だった。

家賃のために書き、 米を買うために書き、 借金取りを追い返すために書き、 読者の熱狂を維持するために書き続けた。

だが1930年代に入ると、 その“疾走”は、ついに身体の限界を超え始める。

1. 体が壊れても、書くことをやめない

1933年頃から、直木の体調は急速に悪化する。

  • 高熱
  • 頭痛
  • 吐き気
  • 意識の混濁
  • 手の震え

それでも直木は、 原稿用紙を離さなかった。

「俺が休んでいる間に、読者は他へ行ってしまう」

この恐怖が、 直木をベッドの上でも書かせ続けた。

志賀直哉が“書かない自由”を持っていたのに対し、 直木三十五には“書かない自由”が一度もなかった。

2. 空書──空中に文字を書く男

病状が悪化すると、 直木は原稿用紙を持てなくなった。

しかし、書くことをやめなかった。

ベッドの上で、 空中に指で文字を書く。

「ここに、こう書くんだ……」

看病する家族は、 直木が空中に書く“見えない原稿”を 必死に書き取ったという。

これは、 志賀直哉の「沈黙」とは真逆の世界だった。

志賀は“書かない”ことで価値を高めた。 直木は“書けないのに書こうとする”ことで、 生きようとした。

3. 結核性脳膜炎──意識が溶けていく

1934年、直木は結核性脳膜炎で倒れる。

意識は混濁し、 言葉は途切れ、 思考は霧の中に沈んでいく。

しかし、 直木の口から漏れた言葉は、 文学でも人生でもなく、 ただ一つだった。

「書けない……書けない……」

これは、 精神的なスランプではない。

“書きたいのに、身体が動かない” という、あまりに残酷な現実だった。

4. 最後まで気にしていたのは「作品」ではなく「生活」

直木が死の直前まで気にしていたのは、 自分の作品が残るかどうかではない。

「作家は食っていけるのか」 「大衆文学は生き残れるのか」

この二つだった。

直木にとって文学とは、 芸術ではなく、 生活そのものだった。

だからこそ、 菊池寛は直木賞を 「大衆文芸の新進に与える賞」 と定めた。

それは、 直木の“生活の文学”を制度として残すためだった。

5. 志賀直哉との決定的な差──沈黙と疾走の終着点

志賀直哉は、 書かない自由を持ち、 沈黙が価値になり、 88歳で「もう、いいよ」と言って死んだ。

直木三十五は、 書かないと生活が崩れ、 身体が壊れても書こうとし、 43歳で「書けない」と言って死んだ。

志賀は“静の終着点”へ。 直木は“動の終着点”へ。

二人の人生は、 最期の言葉によって 最も鮮やかに対照をなした。

6. 直木三十五は、最後の瞬間まで“書こうとした”

直木三十五の死は、 疾走の果ての突然の停止ではない。

“書きたいのに書けない”という、 生の意志と肉体の崩壊の衝突だった。

志賀直哉が「もう、いいよ」と言えたのは、 書かない自由があったから。

直木三十五が「書けない」と言ったのは、 書くことが生きることだったから。