『舌切り雀』は、善良なお爺さんと欲深いお婆さんという単純な対比で語られる昔話として知られている。
しかし物語を丁寧に追っていくと、そこには人間社会と異界、贈与と欲望、関係の断絶と回復といった、昔話特有の構造が静かに組み込まれている。
すずめの宿でのもてなしや、大小二つのつづらの選択は、単なるご褒美や罰ではなく、物語の奥にある“関係の倫理”を浮かび上がらせる装置として働いている。
短い物語の中に、意外なほど精緻な構造が潜んでいる。
1. 舌切り雀 あらすじ
優しいお爺さんと、欲深く気の荒いお婆さんが暮らしていた。 ある日、お爺さんが可愛がっていた雀が、お婆さんの糊をなめてしまう。 怒ったお婆さんは雀の舌を切り、追い出してしまう。
帰宅したお爺さんは雀を探し、山の奥へと分け入る。 やがて“すずめの宿”に迎え入れられ、もてなしを受ける。 別れ際、雀たちは大小二つのつづらを差し出し、お爺さんは小さいほうを選んで帰る。 つづらの中には宝物が詰まっていた。
それを知ったお婆さんは、自分も宝を得ようとすずめの宿へ向かい、大きいつづらを持ち帰る。 しかし中には恐ろしいものが詰まっており、お婆さんは驚きのあまり逃げ帰る。
2. 舌切り雀の伝説地
1. 福島県いわき市・湯本温泉(常磐湯本)
最も有名な伝承地のひとつ。 “舌切り雀の宿”として知られる温泉宿があり、 すずめの宿のモデルとされる伝承が残っている。
- 「お爺さんが訪れた宿」
- 「つづらを渡した場所」 などの伝承が集中している地域。
2. 神奈川県小田原市・箱根湯本周辺
箱根にも「舌切り雀伝説」が複数残っている。
- 舌を切られた雀を助けた老人
- すずめの宿があったとされる谷
- つづらを持ち帰った道筋
など、細かい地名伝承が多い。
3. 京都府南丹市(旧・園部町)
関西にも強い伝承が残っている地域。
- 「雀の恩返し」
- 「つづらの選択」
- 「欲深い婆の破滅」
といった要素が地元の昔話として語り継がれている。
4. 舌切り雀の別系統の伝承
ただし、地域によっては舌を切らない話型や、つづらの中身が異なる型、雀が人の姿になる型など、いくつかの別系統が存在する。
これらの違いは、昔話が地域の価値観や生活環境に合わせて変化してきたことを示している。
しかし、どの系統でも“お婆さんの行動”が物語を動かす中心に置かれている点は共通しており、今回の考察もその核に沿って進めていく。
3. お爺さんとお婆さんの対照
── なぜ“優しいお爺さん”と“欲深いお婆さん”なのか
『舌切り雀』は、物語の冒頭から明確な対照を提示する。 優しいお爺さんと、気の荒いお婆さん。 この二人の性格の差は、単なる人物描写ではなく、昔話がよく用いる善悪の分割構造として機能している。
昔話は、複雑な心理描写を避け、 物語を動かす力を“性格の極端な差”として配置することが多い。 その理由は、 行動の因果関係をわかりやすくするため であり、 『舌切り雀』もその典型にあたる。
お爺さんは、雀を助け、探しに行き、もてなしを受ける。 お婆さんは、雀を傷つけ、欲望に従い、破滅へ向かう。 この二つの流れは、物語全体を貫く“二本の線”として最初から敷かれている。
そして今回の考察の核である 「お婆さんの行動」 は、この分割構造の“負の側”に置かれた存在として、物語を動かす中心となる。
『舌切り雀』は、 お婆さんの行動を軸に展開する物語 であり、 お爺さんはその対照として配置されているにすぎない。
4. 舌を切るという行為
お婆さんの暴力性と、関係の断絶
『舌切り雀』という物語あの中心には、タイトルにもなっている“舌を切る”という行為が置かれている。 これは単なる残酷描写ではなく、物語の構造を決定づける象徴的な出来事である。
お婆さんは、糊をなめた雀を叱るだけではなく、舌を切って追い払う。 この行為は、 「関係を断ち切る」 という意味を持つ。
昔話において“身体の一部を切る”という行為は、しばしば共同体からの排除や、関係の断絶を象徴する。
お婆さんは、雀との関係だけでなく、お爺さんが大切にしていたものとのつながりをも断ち切ってしまう。
ここで重要なのは、 お婆さんの暴力が物語を動かす最初の原因である という点だ。
この“舌を切る”という行為は、 お婆さんが持つ 欲望・短慮・暴力性 を象徴的に示すと同時に、 お爺さんの“回復の旅”を生み出す起点にもなっている。
お婆さんの行動は、 物語の中で最も強い“因果の力”を持つ。 ここで断たれた関係を、誰が、どのように回復するのか。 その問いが、次の章へとつながっていく。
5. お爺さんの旅立ち
断たれた関係を回復しようとする動き
お婆さんが雀の舌を切り、追い払ったあと、 お爺さんは深い悲しみを抱えながら家を出る。 この“家を出る”という行為は、昔話においてしばしば 関係の回復を求めるための移動 として描かれる。
お爺さんは、
- 失われた関係を取り戻すため
- 傷つけられた存在を探すため
- 自分の生活圏の外へ踏み出すため に旅立つ。
ここで重要なのは、 お爺さんの旅立ちは、物語の因果に対する“応答”である という点だ。
お婆さんの暴力が“断絶”を生み、 お爺さんの旅立ちが“回復”の方向へ物語を動かす。 この二つの動きは対照的でありながら、 物語の構造を支える両輪になっている。
お爺さんは、 怒りや復讐ではなく、 ただ雀を案じる気持ちだけを持って山へ入る。 この“無欲の行動”が、後にすずめの宿でのもてなしや、 つづらの贈与へとつながっていく。
つまり、 お婆さんの行動が物語を始動させ、 お爺さんの行動が物語を前へ進める。
この対照が、昔話としての『舌切り雀』の骨格を形づくっている。
お爺さんの旅立ちは、 単なる移動ではなく、 断たれた関係を回復しようとする“倫理的な動き”として描かれている。
6. すずめの宿という異界
お婆さんが踏み込めない“もう一つの共同体”
お爺さんが山奥へ分け入り、たどり着く“すずめの宿”は、 物語の中で明確に 異界 として描かれている。 それは単なる動物の住処ではなく、 人間社会とは異なる秩序と倫理を持つ“もう一つの共同体”である。
すずめたちはお爺さんを丁寧にもてなし、 歌や踊りを披露し、食事を振る舞う。 このもてなしは、 お爺さんが無欲で、関係を回復しようとする存在であることへの応答 として描かれている。
ここで重要なのは、 お婆さんはこの共同体に入れない という点だ。
お婆さんは、
- 暴力によって関係を断ち
- 欲望によって行動し
- 他者を思いやる視点を持たない
そのため、すずめの宿が象徴する“異界の倫理”とは根本的に相容れない。
すずめの宿は、 お爺さんの“回復の旅”に応える場所であり、 お婆さんの“欲望の旅”を拒む場所でもある。
つまり、 異界は誰にでも開かれているわけではない。 関係を結ぼうとする者にだけ開かれる。
この構造は、昔話にしばしば見られる “異界の選別性” を示している。
お爺さんは異界に迎え入れられ、 お婆さんは異界に拒まれる。 この対照が、後の“つづらの選択”へとつながっていく。
7. つづらの選択
贈与を受け取るお爺さんと、欲望に向かうお婆さん
すずめの宿でのもてなしのあと、 お爺さんは大小二つのつづらから、 小さいほうを選んで持ち帰る。 この選択は、昔話における典型的な “贈与の倫理” を象徴している。
お爺さんは、
- もてなしに感謝し
- 必要以上のものを求めず
- 小さなつづらを選ぶ
その結果として、 つづらの中には宝物が詰まっている。 これは、 無欲の者が贈与を受け取る という昔話の構造に沿った展開である。
一方、お婆さんは お爺さんが宝物を得たと知ると、 同じようにすずめの宿へ向かう。 しかしその動機は、
- 関係の回復ではなく
- 贈与への感謝でもなく
- ただ“宝物を得る”という欲望だけ
ここで、お婆さんは 大きいつづらを選ぶ。 この選択は、 お婆さんの行動が“欲望”によって動いていることを象徴的に示す。
昔話において、 大きいもの=欲望の象徴 として描かれることは多い。 お婆さんは、 自分の欲望を満たすために最大の利益を求め、 その結果として破滅へ向かう。
つまり、 つづらの選択は単なる“大小の選択”ではなく、 贈与と欲望の分岐点 として物語の構造を決定づけている。
お爺さんは“関係の回復”の延長として贈与を受け取り、 お婆さんは“欲望の追求”としてつづらを選ぶ。 この違いが、次の章で描かれる お婆さんの破滅 へとつながっていく。
8. お婆さんの破滅
欲望の暴走と、共同体からの最終的な断絶
お婆さんは、お爺さんが宝物を得たと知ると、 同じようにすずめの宿へ向かう。 しかしその動機は、
- 関係の回復ではなく
- 感謝でもなく
- ただ“宝物を得る”という欲望だけ
ここで、お婆さんは物語の構造における “負の側”の行動原理をそのまま体現している。
すずめの宿では、お婆さんも一応もてなしを受けるが、 その態度は終始横柄で、 もてなしを受ける資格を持つ者としての振る舞いをしていない。 そして、つづらを選ぶ場面で、 迷わず 大きいつづら を選ぶ。
この選択は、 欲望の最大化=破滅への直行 という昔話の典型的な構造に沿っている。
家に戻り、つづらを開けると、 中からは化け物や恐ろしいものが飛び出し、 お婆さんは驚きのあまり逃げ帰る。 標準的な話型では、 ここでお婆さんは“破滅”という形で物語から退場する。
この破滅は、 単なる罰ではなく、 お婆さんが自ら選んだ行動の帰結として描かれている。
- 舌を切る(断絶)
- 欲望で動く(倫理の欠如)
- 大きいつづらを選ぶ(欲望の暴走)
これらの行動が積み重なり、 最終的に“共同体からの完全な断絶”としての破滅に至る。
すずめの宿という異界は、 お爺さんには開かれ、 お婆さんには閉じられる。 その差は、 行動の倫理性 によって生まれている。
お婆さんの破滅は、 昔話が持つ“倫理の構造”を最も端的に示す場面であり、 今回の考察の核が最も強く立ち上がる部分でもある。
9. 『舌切り雀』が描く「関係の倫理」とお婆さんの役割
『舌切り雀』は、善良なお爺さんと欲深いお婆さんという単純な対比で語られる昔話として知られている。 しかし物語の流れを丁寧に追うと、中心にあるのは お婆さんの行動 であることがわかる。
お婆さんが雀の舌を切ることで、 物語は“断絶”という方向へ動き出す。 お爺さんはその断絶を埋めようと旅に出て、 すずめの宿という異界に迎え入れられる。
そこでのもてなしと、つづらの贈与は、 お爺さんの“無欲”に対する応答として描かれている。
一方、お婆さんは欲望に従って行動し、 大きいつづらを選ぶことで破滅へ向かう。 この破滅は、罰として外側から与えられたものではなく、 自らの行動が生み出した帰結として描かれている。
つまり、『舌切り雀』は 関係を結ぼうとする者には異界が開かれ、 欲望に従う者には異界が閉じる という、昔話特有の“関係の倫理”を静かに示している。
お婆さんは物語の“負の側”に置かれた存在だが、 その行動がなければ物語は始まらない。 お婆さんの暴力と欲望が、 お爺さんの旅と贈与を生み出し、 物語全体の構造を形づくっている。
『舌切り雀』は、 善悪の単純な教訓話ではなく、 行動の倫理が物語の世界をどう開き、どう閉じるのか を描いた昔話である。
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