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玉川徹「農家は淘汰されて当然」論の深層

大きな葉と白い花を咲かせるホオノキ(朴の木)。 メディア・言説の解剖学
朴ノ木は毎年、立派な花を咲かせ、大きな葉を広げる。まるで、その存在感を誇示するかのように。
メディア・言説の解剖学
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米価暴落の特効薬か、亡国の設計図か。
玉川徹の理想を実現する唯一の解決策

第一幕:米が高い!農家を大規模化してコストを下げろ!

テレビ朝日『羽鳥慎一モーニングショー』にて、玉川徹は日本の農業が抱える「高コスト体質」に対し、極めて明快な、そして視聴者が思わず膝を打つような「正義の処方箋」を提示している。

その主張は回を追うごとに鋭さを増し、以下のポイントに集約される。

「大規模化こそがコスト削減の特効薬である」
「日本の米の生産コストが高いのは、一軒一軒の農家の規模が小さすぎるから。これを欧米のように大規模化して、1人で100ヘクタール、200ヘクタールと作れるようにすれば、コストは劇的に下がるはずだ」

「ITと自動化で人手不足もコストも解決できる」
「今はITとかスマート農業がある。自動運転のトラクターを走らせれば、大規模化しても人手はいらない。そうすれば世界と戦える価格で米が作れるようになる。なぜそれをやらないのか」

「土地がバラバラであっても、それを一つの経営体がまとめて管理・耕作できるなら、それは立派な大規模経営なんです。集約化して効率を上げる努力が足りないだけだ」

「諸悪の根源は、小規模農家を温存させる国の制度にある」
「小規模な農家を保護し続けるような今の農政が、結局は消費者に高い米を買わせている。競争原理を導入して大規模化を進めるべきだ」

「(補助金などで小規模農家を支える現状は)日本のコメ作り自体がダメになるラストチャンスを逃している。農政の不作為だ」

第二幕:効率化の先にある「選別」と、市場原理という名の正義

「農地を株式会社に開放し、ビジネスとして再編せよ」
個人の農家に期待するのではなく、資本力のある企業が農業を主導する形こそが理想だと主張する(2025年5月14日放送回など)。

「結局、今の農家じゃできないんだから、株式会社がどんどん参入できるようにすればいい。資本を入れて、徹底的に合理化すれば、なんていくらでも安くなる

「経済合理性のない農家は、市場から退場すべきだ」
「食えないような小さい規模でやってるから苦しいんであって、それはビジネスとして成立していないということ。そういう農家を税金で守り続ける必要がどこにあるのか。競争して、負けたところは淘汰されるのが当たり前だ」(2025年10月27日放送回)。

「できないのは『やる気』がないだけだ」
「できない理由を探すのはもういい。アメリカやオランダができていることが、なぜ日本でできないのか。それは改革を本気でやろうとしない、農政と農家の怠慢でしかない」

第三幕:お手本の農場は、もはや「地平線」が境界線

「1人で100ヘクタール、200ヘクタール」という大規模経営。これが実現すれば確かにコストは下がる。

農林水産省が公表している「諸外国との経営規模の比較」によると、1戸あたりの平均経営面積は以下のようになっている。

アメリカ:約178ヘクタール
オーストラリア:約2,700ヘクタール
日本:約3.3ヘクタール

アメリカの農家1軒が持っている土地は、日本の平均的な農家の約54倍。

オーストラリアの約2,700ヘクタール=27 km²は、JR山手線の内側の面積は約63 km²、その半分31.5km²よりやや少なく、東京都品川区の面積約22.84 km2(平方キロメートル)よりも広い面積ということになる。それがオーストラリアの農家一軒分。もはや比較すること自体が虚しくなるような数字。

玉川徹が言う「100ヘクタール規模への拡大」を日本で実行しようとするなら、単純計算で「近隣の農家30軒~60軒分を、1つの経営体に統合する」という作業が必要になる。

あちらの国々では、見渡す限りの地平線までがひとつの農場。

障害物はなく、大型機械ノンストップで走り続けられる。

一方、日本で「30軒分の農地」を集めた時、その内訳はどうなるのか。

そこには、これまでの歴史で張り巡らされた複雑な水路があり、生活道路があり、誰かが住んでいる家があり、そして日本列島の7割を占める「山」や「谷」が食い込んでいる。

第四幕:最新ITと自動運転が、あぜ道で立ち往生する日

広大な土地がないなら、せめてITの力で効率化すればいい。玉川徹はそう主張する。

「今はスマート農業がある。自動運転のトラクターを走らせれば、大規模化しても人手はいらない」

確かに、最新のトラクターはGPSを搭載し、数センチの狂いもなく自動運転できる。

農林水産省のスマート農業推進資料を見ても、労働時間を大幅に削減できる夢の技術として紹介されている。

  • 水田作: スマート農業技術の導入により、総労働時間が平均で約1割削減された事例があります。
  • 露地野菜: 自動収穫機などの導入により、従来より労働時間を55%削減できた事例があります。
  • 果樹・茶: 自動収穫機や台車ロボット等により、収穫及び運搬作業の労働時間を60%削減するという目標が掲げられています(2030年度までの実用化目標)。 

ただし、この技術が真価を発揮するには、ある「前提条件」が必要。

それは、「一度走り出したら、しばらくは止まらずに直進できること」。

アメリカの100ヘクタールを超える一枚の畑なら、一度セットすれば数キロメートル先までノンストップで作業が可能。まさに「自動運転」の独壇場。

では、日本で「30軒分の農地」をかき集めた現場を想像してみよう。

形もバラバラ、標高もバラバラ。隣の田んぼへ行くには、一度公道に出て、狭い橋を渡り、信号待ちをして、住宅の間を抜けなければならない。

最新の自動運転トラクターを持ってきても、10分走れば「はい、次の田んぼへ移動です」と作業を中断し、人間が運転して細いあぜ道をソロソロと進むことになる。

「耕している時間」よりも「移動して機械をセットし直している時間」の方が長くなるという、なんともシュールな風景。

1台数千万円するスマート農機を導入したとして、その「移動コスト」「待ち時間」まで考慮したとき、果たして米の価格は玉川徹の言う通り「劇的に下がるのか。

ITという魔法を使えば、日本の「細切れの土地」という物理法則すら書き換えられるのか。

それとも、ハイテクマシンが住宅街の電柱に阻まれて立ち往生する姿を、「改革の証」として眺めることになるのだろうか。

第五幕:効率化の果てに見える景色は何色なのだろう

玉川徹は「経済合理性のない農家は淘汰されて当然だ」と言い切る。

ビジネスとして成立しない小規模農家を税金で守るのをやめれば、やる気のある大規模経営体や株式会社に集約され、すべてが解決するという理屈。

では、ここで一つ、日本の原風景を思い出してみよう。

私たちが「美しい日本の田舎」として眺める風景の多くは、実はその「効率の悪い小規模農家」たちの手によって維持されているという現実がある。

日本の農地の多くは、平坦な場所ばかりではない。山間の斜面にある棚田や、複雑に入り組んだ中山間地。

こうした場所は、大規模経営を狙う法人や株式会社にとって、真っ先に「不採算部門」として切り捨てられる対象となる。

もし、玉川徹の言う通りに市場原理を徹底し、効率の悪い農家がすべて「退場」したとしたら。

大規模経営を狙う法人や株式会社などが手を出さない、大型トラクターも入れない、利益の出ない「細切れの斜面」は、一体誰が管理することになるのだろう。

放置された田んぼは、わずか数年で荒れ果て、害獣の住処となり、大雨が降れば土砂崩れを防ぐ機能を失う。

農林水産省の試算によれば、農業の持つ「多面的機能」(洪水防止や景観保全など)の評価額は、年間で数兆円にものぼるとされている。

  • 2015年度の試算:『農業・農村の多面的機能に関する報告書(平成28年3月 農林水産省 食料産業局都市農業室)』では、約8兆1,500億円と試算されています。
  • 2010年度の試算:『農業・農村の多面的機能の評価について(最終とりまとめ)』では、約8兆2,000億円と試算されています。

「効率の悪い農家を排除して、米の価格を10円、20円安くすること」

「それと引き換えに、国土の保全コストを税金で別途支払い、失われた景観を諦めること」

どちらがより「合理的」な未来なのか。

第六幕:荒野を水田に変えた、理想の国の水事情

玉川徹は「大規模化すれば、世界と戦える価格で米が作れる」と言う。

確かに、アメリカの広大な農地で、飛行機で種をまき、大型機械で一気に収穫すれば、1俵あたりのコストは当然下がる。

しかし、そこにはビジネス文書には書かれない「最大のコスト」が隠されている。それは、稲作りに何より必要な「水」

アメリカの主要な米どころであるカリフォルニア州などは、もともと稲作に適した湿潤な土地ではなかった。

無理やり大規模なダムや水路を建設し、遠くから水を引っ張ってくることで、砂漠のような土地を「無理やり」水田に変えているのが実態。

近年、アメリカを襲っている歴史的な干ばつによる水不足は、農業用水の価格を暴騰させ、多くの大規模農家が作付けを断念せざるを得ない状況に追い込まれている。

米農務省(USDA)の報告などを見ても、水の確保が困難になり、作付けを断念する大規模農家が相次いでいるという現実がある。

一方で、「非効率」だから、切り捨てろと言われている日本の小規模農家はどうだろうか。

日本の国土は、山から川へ、絶え間なく水が流れる恵まれた環境にあり、先祖代々が築き上げた網の目の用水路が、毛細血管のように小さな田んぼ一つひとつに水を届けている。

もし玉川徹の言う通りに大規模化を進め、特定の組織に農地を集約したとき、この「高度で複雑な水利システム」を一体誰が維持管理するというのか。

第七幕:もっと広く、もっと平らに。その果てに浮かぶ、かつての幻影

玉川徹のロジックを日本で完璧に成立させるために、どうしても必要なものがある。

それは、「広大で」「平坦で」「誰の所有権も及ばず」「水路も道路もゼロから引き直せる」まっさらな大地

しかし山が7割を占め、わずかな平地には家が建ち並び、数百年かけて張り巡らされた水路が流れるこの国に、そんな理想郷などない。

どれだけITを駆使し、どれだけ法人や株式会社が号令をかけても、この物理的な制約からは逃れられない。

そうなると、玉川徹の理想を実現する道は、ひとつしか残されていないのかもしれない。

「日本国内に広大な土地がないのならば、もっと圧倒的な大地を、外に求めればいいじゃないか」

見渡す限りの地平線。大規模な自動運転トラクターが数キロメートルを直進できる、そう、あの肥沃な平原

いっそ、もう一回「満州開拓」からやり直してみるか?

『カオスの深層|世相・社会の解剖学』
L『納得感の解剖学|説得の技術者たち』

『知の深淵へ|童話・寓話の解剖学』