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言葉は、いつから不自由になったのか
「言葉を変えれば、差別はなくなる。そう信じて歩んだ二十数年の末路。」
アンパンマンの「ぼくら」を禁じ、「主人」を奴隷の言葉と呼び、言い換えリストを更新し続けた結果、私たちは人前で配偶者を呼ぶことすら躊躇うようになった。タイパを叫びながら、検閲という無駄に時間を費やす現代の不条理。
第一幕:国会でのタイパ論争――「文化芸術」か「芸術文化」かという空虚な問い
タイパという言葉は、どうも好きになれない。
昭和の時代に「私はこれで会社を辞めました」というフレーズで一世を風靡した禁煙パイプ「パイポ」のCM。
文字数でいったら「タイパ」も「時短」も同じ3文字。「パイポ」も三文字。ようは、時短は時間短縮。ジタン(Gitanes)はタバコ。フランスの。
さて、2001年(平成13年)11月21日、文部科学委員会。
当時、社民党の代議士であった山内惠子氏。日教組の女性部長などを歴任された、いわば教育や平等の専門家。
法案提出者である自民党議員に対し、彼女は質問の冒頭、このように切り出した。
「(法案の名称について)ほかに質問がたくさんありますので、端的にお答えいただきたいと思います」
これに続いて
「民主党案の方は『芸術文化』だったが、あえて(自民党案で)『文化芸術』とした理由は何か」
……???
自民党が一度提出した名称を途中で変えたというのであれば、この質問は適切。共同提案であれば話は別だが。
民主党は野党です。
自民党が独自に作成した法案に対して、なぜ他党である「野党案」の名称との違いについて解説を求めるのか。
これは、答弁する側にしてみれば、質問された以上は何か答えなければならないが、そもそも土俵の違う案との比較を求められても。
「端的にお答えください」
自分からタイパを意識して時間を節約しろ、と言っておきながら、答えのない答えを求める。お互いの貴重な時間を削って、無駄な時間を作り出す。
第二幕:アンパンマンの絶望――「ぼくら」という全肯定を解体したジェンダーの網
ここから、彼女は本題へ切り込む
「この法案の最後の方だったと思いますが、青少年という言葉がありますが、私は、この文言は、青少年にもう一つ少女を加えていくべき言葉だというふうに思っています」
「青少年」に、あえて「少女」を付け加えろという提案。
彼女は、自身の教師時代の経験をこう語ります。
「女性差別撤廃条約を批准したときに、私は学校現場で教科書のチェックをしました。いろいろなところにこの問題点があることがわかりました」
その問題点とはなにか。
「特に音楽の中に、主語が、僕、僕らというのがあります、『ぼくらはみんな生きている』というように。学級の中の半数は女の子ですから、歌うたびに自分は(入っていない)という声が聞こえてくるというふうに子供たちが言っていました」
……???。
「ぼくらはみんな生きている」のフレーズで知られる名曲
「手のひらを太陽に」
作詞はやなせたかし、
作曲はいずみたく。
2025年度前期の朝ドラ『あんぱん』でも描かれた、あのアンパンマンの作者が、生命の輝きを歌った詩。
やなせ氏がこの詞に込めたのは、ミミズもオケラもアメンボも、性別すら超越した「生きとし生けるものすべて」への全肯定なのだ。もともと「アメンボ」のところは「ナメクジ」だったという逸話がある。
歌うたびに「自分は入っていない」という声が聞こえる。もしそれが本当なら、教育の現場でなく、まずは別の専門家に相談すべき案件ではないかと。
「『ら』の中にあなたも入ると何度言っても納得しない。男中心の社会から残ってきた文言だ」
彼女はそう断言する。(脚注:『ら』の中の”ら”は、ぼくらのら)
しかし、この曲の歌詞を読み返せば、「真っ赤に流れる ぼくの血潮」というフレーズが繰り返される。
主人公は「ぼく」という一人の少年であり、そこから広がる「ぼくら」という連帯に、何ら不都合はないはず。
詞の意味を理解し、応援歌として受け取る。そんな読解力や想像力を育てるのが教育の役目だとしたら、言葉の表面だけを掬い取って「検閲」を求める姿勢は、どうなのかね。
あれから、20数年。歌うたびに「自分は入っていない」という声が聞こえる子は、今、どうしてるのだろうか。
第三幕:記号化される呼称――「看護師」から「客室乗務員」へ、言葉の掛け替えの歴史
あれから二十数年(綾小路きみまろか?)
「看護婦さん」は「看護師」になり、「保母さん」は「保育士」になった。かつて「スチュワーデスさん」と親しみや敬意を込めて呼ばれていた存在は、今や「客室乗務員」あるいは「キャビンアテンダント」という、無機質な記号へと置き換わった。
言葉を変えれば、意識が変わる。差別がなくなる。そう信じて進められた「言葉の掛け替え」の歴史でもある。
元法政大学教授、田嶋陽子氏。
英文学者であり、女性学・ジェンダー研究の先駆者。1990年代から『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)などのテレビコメンテーターとして茶の間の顔となり、2001年には参議院議員選挙に社民党から出馬し当選。政界へも進出した。
さらに60代でシャンソン歌手としてデビューし、現在は軽井沢を拠点に、アートや書道など多角的な表現活動を続けている。
第四幕:「日本語は男の借り物」という言説を、清少納言が笑う
「日本語そのものが、男が使いやすいように、男の視点で作られている。女は借り物の言葉で喋らされているのよ」(田嶋陽子『愛という名の支配』 参照)
日本語の歴史において、現在の標準的な文語体の基礎となった「かな文字」を洗練させ、豊かな語彙を構築したのは、平安時代の女性たちである。
紀貫之が男の手(漢字)ではなく「女手(かな)」で『土佐日記』を記した事実は、当時の知的・情操的な表現の主権が女性側の言語にあったことを示唆している。
紫式部や清少納言によって紡がれた言葉は、男が使いやすい道具としてではなく、女性の視点から世界を記述するために高度化された。
また、日本語特有の「女言葉(です・ます調の源流の一部を含む)」についても、歴史社会言語学の研究(菊地康人『敬語』等)によると、江戸時代から明治期にかけて、山の手の女性たちが自らのアイデンティティや品位を示すために自発的に選択し、発展させてきた経緯がある。
英語などの印欧語族では、歴史的には人間を指す代名詞が「He(彼)」を基本とし、男女混合の集団を「Men」と呼ぶなど、構造的に男性中心性が強かった。
やなせたかし氏が「ぼくら」と記したとき、そこに性別の壁が存在しなかったのは、日本語が本来持っている「境界の曖昧さ」という特性に依るところが大きい。
第五幕:奴隷の名札をかける呪文、「主人」という名の禁句
「『主人』なんて言葉を使うのは、自分を奴隷だと言っているのと同じ。そんな言葉を使っているうちは、女の自立なんてありえないわ!」(TV番組『TVタックル』等での発言より)
「主人」という言葉の語源は、元来、家長や雇い主を指す以上に、その場の「主(あるじ)」、すなわちゲストを迎え入れる「ホスト」としての役割を指す。
言語学者の金田一秀穂氏は、日本語における家族呼称の多くが「役割」や「場所」に由来することを指摘している。
例えば、「ちち(父)」は「乳」の提供者である「はは(母)」に対する「男」の役割を意味し、「つま(妻)」は「端(はじ)っこ」にいる人、つまり家の中心から少し離れたところで家事をこなす人を指すといった具合に。(金田一秀穂『適当な日本語』 )
歴史的に見れば、日本の家庭における「主人」は、対外的な責任を負う窓口としての呼称であった。
一方で、家庭内の実権を握る女性は「奥様(奥の主)」あるいは「嬶天下(かかあでんか)」と呼ばれ、内政を司る絶対的な権限を持つ存在として、言葉の上でも役割が分担されていた。
これは、たとえ社会的な「主」が男性であったとしても、家事や育児、家計の管理といった「内政」に関しては、女性が絶対的な権限と責任を持つ存在として認識されていたことを示している。
現代において「主人」という言葉を排斥し、「夫」や「パートナー」という呼称に置き換えた家庭において、言葉の「正しさ」を気にするあまり、人前で配偶者をどう呼ぶべきか迷い、数秒の沈黙を余儀なくされる人々がいるとも聞く。
第六幕:破壊のレトリック――「パンとバラ」から「パンツを洗え」への変質
「女が男と同じ土俵で戦うためには、男が作ったルール(言葉)を壊すしかないの」(田嶋陽子『ヒロインは、なぜ殺されるのか』 参照)
「男もパンツを洗え、女はパン(経済的自立)を持て」1991年から出演を開始した『ビートたけしのTVタックル』(テレビ朝日系)等のメディアを通じ、彼女はこの言葉を繰り返し放ってきた。
「パンとバラ」のルーツ
この「パン」のルーツは、1912年(「明治45年」から「大正元年」に改元された年。)にアメリカで起きた女性労働者によるストライキ「ブレッド・アンド・ローゼズ(パンとバラ)」にある。
当時の女性たちは、「生存のための賃金(パン)」だけでなく「人間としての尊厳(バラ)」も共に分かち合うことを求め、連帯して立ち上がった。
これは、過酷な状況下での共感と結束を象徴する平和的な言葉であった。
田嶋氏はこの歴史的な連帯の言葉を、家庭内における「役割の分断」を強調するレトリックへと転用した。「パンツを洗わせる側」と「パンを持つ側」という対立構造の構築である。
平和主義を標榜する彼女が、言語上の「破壊」や「ルール破壊」を提唱し、既存の家庭体系を「解体」すべき敵と定義してきた四半世紀。
2024年のジェンダー・ギャップ指数
2024年のジェンダー・ギャップ指数において、日本は146カ国中118位である。前年の125位から順位を上げたものの、G7の中では最下位にとどまり、政治・経済分野の男女格差が大きな課題とされている。
言葉を「看護師」に変えても、看護業界の労働環境や男女の賃金格差が劇的に解消されたという公的なデータは見当たらない。
一方で、官公庁の「公用文作成の要領」や、放送局の「放送用語ハンドブック」の改訂頻度と、それに伴う「言い換え用語」のリストは確実に増えている。
一度定まった呼称が、数年後には「不適切」の烙印を押される。そのたびに、膨大な公文書の書き換えと、それをチェックするための検閲に、社会全体の時間が費やされている。
やなせたかし氏が「ぼくら」に込めた、ミミズもオケラもアメンボも排除しない「生きとし生けるもの」への視座。その詩情を「男の視点だ」と解体し、再定義するために費やされた二十数年。
人前で配偶者をどう呼ぶべきか迷い、数秒の沈黙を余儀なくされる人がいる。
果たして、時計の針は進んだのか、それとも……。

L『納得感の解剖学|説得の技術者たち』
『知の深淵へ|童話・寓話の解剖学』


