戦後80年目の「新しい全体主義」、鏡合わせの二人が切り捨てるもの
1.平和という共通の聖域
共有される「反戦」と「不戦」
2025年末の安全保障関連の会見において、ジャーナリストの望月衣塑子は、防衛費増額や反撃能力の保有に対し「戦後80年続いた平和国家のあり方を根本から破壊するものだ」と強い懸念を表明した。
彼女のこの主張は、他者の言説においても引用されている。例えば、市民団体「東京新聞望月衣塑子記者と歩む会」のFacebook投稿では、防衛費のGDP比2%への増額について「根本から破壊する暴挙です」という表現で懸念が表明されている。
彼女にとっての「平和」とは、憲法9条を堅持し、一切の武力行使を否定する絶対的な非戦である。
合致する「武力なき平和」
同じく2025年末の『羽鳥慎一モーニングショー』において、玉川徹も日本の安全保障政策について持論を展開している。
氏は、軍拡競争が招くリスクを指摘し、「武力による抑止ではなく、徹底した外交努力こそがコスト的にも生存戦略的にも正しい」との立場を示した。
軍事力への依存を「国家の破綻を招く非効率な選択」と定義し、平和を最優先事項に置く点において、両氏の主張は合致する。
現在、現実的な防衛力強化を論じる言説が目立つ中で、両氏は一貫して「武力なき平和」という旗印を掲げ続けている。その方向性に、乖離は見当たらない。
2.同じOSで動く「不寛容な正義」
「無謬性(むびゅうせい)」への信仰
平和という共通の聖域を掲げる両氏の言説には、自らの導き出した答えに対する「無謬性」への強い信仰が通底している。
望月衣塑子は、2025年12月の防衛大臣記者会見において「平和と人権を守るために、これ以外の選択肢はない」という旨の追及を繰り返した。自身の依って立つ平和観を「唯一の正義」と定義し、一切の妥協を排した姿勢を鮮明にしている。
一方、玉川徹は、同じ平和を維持するためのアプローチとして「合理的、持続可能な社会のためにはこの道しかない」という論理を展開する。
2025年12月の放送においても、氏は防衛予算の拡大が招く財政リスクを指摘し、徹底した外交と国内経済の安定こそが「避けては通れない生存戦略」であるとの分析を提示した。
玉川徹氏、放漫財政と金利を巡る解決策を提言(2025年12月24日) – Yahoo!ニュース
自身の主張をデータや論理に基づいた客観的帰結として位置づける姿勢は、現在の言説においても一貫している。
掲げる看板が「理念」か「合理」かの違いはあれど、自らの主張に微塵の疑いも持たない立ち居振る舞いの記録が、メディアのアーカイブに並列に存在している。
「啓蒙」という名の見下し
自らの正解を信じて疑わない姿勢は、他者への「啓蒙」という形をとって現れる。
望月衣塑子は、SNSや著書を通じて政府やその支持層に対し「真実を知らされていない」「歴史に学んでいない」といった表現を頻繁に用いる。東京新聞のコラムや動画配信を通じて、既存の報道では届かない「真実」を伝えるべきだという自身の使命感を発信し続けている。
有権者を「教え導くべき対象」として位置づけるパターナリズム(父権的干渉)が、その発信の根底にある。
対する玉川徹も、番組内で視聴者に対し「皆さんも本気で考えなければならない」と促し、自身の提唱する効率化案を理解しない層を「論理的に考えればこうなるはずだ」という持論に反する意見に対し、しばしば「お花畑」「現実を見ていない」と断じる。
玉川徹氏、人口減少でのサービス維持に持論 – 日刊スポーツ(2025年12月26日)
2025年12月29日の鈴木憲和農水相へのインタビューにおいても、氏は農政の現状について「正直、がっかりした」と評し、自らの知見を常に上位に置くスタイルを鮮明にした。
鈴木農水大臣に玉川徹氏が直撃 – テレ朝NEWS(2025年12月29日)
異論に対する「攻撃的排除」
「平和」という高潔な旗印は、時に異論を排除するための刃となる。
望月衣塑子は、自らの平和観に沿わない動きを「権力の犬」や「戦前回帰」といった語彙で形容する。政府方針に同調するメディアの姿勢を「権力の補完勢力」と捉える厳しい視座を持っており、東京新聞のコラム等を通じて、現状を「戦前の言論統制前夜」と断じる。
対話による合意形成ではなく、特定の価値観を「悪」や「無知」と規定することで、自らの正義を際立たせる手法を採る。
玉川徹も同様に、非効率とされる現状を維持しようとする意見を「既得権益」や「昭和の発想」と括り、排斥の対象とする。
2025年12月26日の放送では、人口減少下での地方インフラ維持を巡り、「“ポツンと一軒家”が散在する状況でサービスを維持するのは不可能だ」と、地方のインフラ維持を訴える声を、国家全体の負担という論理で一蹴した。
平和の下に集わない者を「駆逐すべき悪・無知」と見なす不寛容な色彩において、両者の言葉は同一の温度を保っている。
3.なぜ出口だけが違うのか
「守るべきもの」の設定の差異
望月衣塑子は「個人の尊厳」や「歴史的理念」に重きを置く。彼女にとっての平和とは、個人の権利を侵食し得る「権力」や「軍事」を徹底的に排除した先に存在する。
そのため、国家の存続よりも、理想の完遂を優先事項とする。
対する玉川徹は「国家というシステム」や「数字上の持続性」を優先する。氏にとっての平和とは、国家が破綻せず、計算可能な範囲で存続し続ける状態を指す。そのため、システムを圧迫する「非効率な弱者救済」を、全体を守るためのコストとして削減の対象とする。
望月衣塑子は「情念(エモーション)」を駆動させ、玉川徹は「冷徹(ロジック)」を突きつける。どちらも「極論によって読者の思考を特定の結論へ誘導する」という構造において、その機能に違いは見られない。
4.戦後80年目の「新しい全体主義」
戦後80年を迎えた日本の言論空間には、二つの正義が並走している。
一方は「効率」という冷徹な刃を振るい、システムにそぐわない異論を「非合理的」として切り捨てる。
もう一方は「平和」という高潔な旗を掲げ、自らの定義に合致しない他者の思考を「反平和的」として糾弾する。
両者の言説に共通するのは、相手の言葉に耳を傾けるというプロセスの欠如である。
そこにあるのは対話ではなく、自説という城壁の中から放たれる一方的な宣告に過ぎない。
自説に固執し、相手を対等な対話相手とは見なさず、レッテルを貼って言論の檻の外へと追放する手法において、両者は完全に一致している。
玉川徹と望月衣塑子。
この二人は、互いを「許容しがたい存在」として否定し合いながら、実は「自分たち以外の意見を認めず、自説を絶対視する」という同じ檻の中に、背中合わせで閉じ込められている。
彼らが唱える「平和」や「合理」が、真に社会の安寧を願うものなのか。あるいは、自分たちに都合の良い世界を設計し、そこに従わない者を排除するための「棍棒」に過ぎないのか。
誰かがその「他者を許さない正義」に、息苦しさを感じていたとしても。
もちづきの欠けぬ正義を盾にしてソロバン弾いて矛出す玉川

L『納得感の解剖学|説得の技術者たち』
『知の深淵へ|童話・寓話の解剖学』

