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なぜに「かぐや姫」の歌は存在しないのか?

密集した笹竹の林。緑と茶色の茎や枯れ葉が絡み合っている。 童話・寓話
表裏一体の和と洋の文化。「覗いてはいけない」禁忌の奥に、人の業の深淵を垣間見た気がします。
童話・寓話
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『竹取物語』が隠した記憶抹消の真実と罪

1. なぜ「かぐや姫」の歌は誰も知らないのか?|五大ヒロインの筆頭が隠した「罪と罰」

――五大ヒロインの筆頭が隠した、あまりに切ない「罪と罰」

この考察を踏まえた短編小説はこちらで読めます。
『竹取物語異聞:なぜに、かぐやは月を追われた?』(短編)

「桃太郎」や「浦島太郎」には、誰もが口ずさめる歌があるが、同じくらい有名な「かぐや姫」には、国民的な定番ソングは存在しない。

三太郎の歌の多くは明治時代、教育(文部省唱歌)のために「勇気」や「報恩」を教える目的で作られた。

一方、かぐや姫の物語は、最後が「記憶の抹消」と「永遠の別れ」というあまりに重いテーマ。

教育には不向きとして、国策の歌から外されたという歴史的な背景も、彼女に歌がない一つの理由ではないだろうか。

まずは、日本の物語史を彩る女性主人公を紐解いてみよう。

かぐや姫:竹から生まれ月へ帰る、日本最古のミステリアス・ヒロイン。
鶴の恩返し:愛する人のために身を削る、献身と別れの象徴。
天女の羽衣:空から舞い降り、再び空へと消えていく美しき天人。
瓜子姫:瓜から生まれた無垢な少女。あまのじゃくとの知恵比べ。
鉢かづき:頭に鉢を被せられた姫が、苦難の末に幸せを掴む逆転劇。


この中でも、圧倒的な格を持ちながら、どこか寂しさを纏っているのが「かぐや姫」だ。また、それは彼女が、他の主人公たちとは一線を画す「謎」に満ちたヒロインだからだとも言える。

2. 五人の貴族が堕ちた『かぐや姫』という罠|難題に隠された求婚者の末路

物語の幕開けはあまりに幻想的である。光り輝く竹の中にいた、わずか三寸の少女。彼女は瞬く間に美しく成長し、国中の男たちを虜にする。

しかし、彼女は最初から「地上の誰とも結ばれない」運命を背負っていた。

熱烈なプロポーズをしてくる五人の貴公子たちに、彼女はあえて「この世に存在しない至宝」を要求した。

石作皇子(いしつくりのみこ) には仏の御鉢を。彼は寺の汚れた鉢を差し出し虚偽を弄したが、鉢が光り輝くことはなく、即座に露呈した。

車持皇子(くらもちのみこ)には玉の枝を。職人に偽物を作らせたが、その代金未払いを告発され、計略は瓦解した。

右大臣・阿倍御主人(あべのみうし)には火鼠の皮衣を。本物ならば燃えないはずのそれが、火に投じた瞬間に燃え尽き、偽物と確定した。

大納言・大伴御行(おおとものみゆき) には龍の首の玉を。暴風雨を龍の怒りと誤認して逃走。心身を病み、最後は両目の玉(眼球)がすもものようになるまで衰弱した。

中納言・石上麻呂足(いそのかみのまろたり)には燕の子安貝を。巣から掴み出したのは燕の糞に過ぎず、墜落の衝撃で腰の骨を折り絶命した。


男たちは「偽物で騙す」か「命惜しさに諦める」

3. 国内に残るかぐや姫伝説の地|彼女のいた証と伝承の記録

創作と思われがちなこの物語だが、「ここが舞台だ」と名乗りを上げる地が全国に点在している。

奈良県広陵町:翁の名にちなむ神社があり、竹取物語の「本場」として最有力視されている。

静岡県富士市:ここでは結末が異なります。彼女は月へ帰らず「富士山」に登って消えたとされ、山の神として今も祀られています。


鹿児島県さつま町:広大な竹林が広がり、姫が残した遺品の伝説が今も息づいています。

この他にも、京都や岡山など、全国で少なくとも10か所以上の地域に伝説がある。

各地の詳細は文化遺産オンライン(文化庁)などで確認できるが、中には彼女を「山の神」として祀る場所もあり、物語の枠を超えた信仰の対象にもなっている

4. 美しきヒロインに課せられた流刑の正体|月界での「罪」と帰還

物語の終盤、姫は自らが月の住人であり、「昔の罪」を贖うために地上へ送られたことを明かす。

問題はその罪状だ。古典注釈の世界では、主に以下の説が有力視されている。

一つは、天界における「私通(不適切な恋愛)」である。

平安時代の貴族にとって、禁じられた情事は政争に並ぶ流刑の主要因であった。

実例を挙げれば、在原行平は光孝天皇の女御との密通を疑われ、因幡国(あるいは須磨)へ流されたとされる。

かぐや姫もまた、月界の規律を乱す密通を犯し、その罰として、寿命と衰えが存在する「不浄の地(人間界)」へと追放されたとする解釈だ。

二つ目に、天界の「政治的失脚」を背景とする説がある。

月界を一つの統治国家と見なした場合、彼女は権力闘争に敗れた「政治犯」として地上へ幽閉されたのではないか、という読み解きだ。五人の貴公子を冷徹に排除したあの手腕は、単なる娘のわがままではなく、統治階級としての老獪(ろうかい)な防衛本能の現れとも取れる。

三つ目は、仏教的な「思覚(しがく)」、すなわち地上への執着そのものを罪とする説だ。

江戸時代の国学者・田中道雄らは、これを「心に生じた一瞬の邪念」と読み解いた。

清浄無垢な月界の住人が、穢れに満ちた地上に対し、あろうことか「憧れ(執着)」を抱いた。

その心の揺らぎ自体が、不浄を排する天界の法に抵触したとする見方である。

いずれにせよ、かぐや姫が地上で見せた圧倒的な美貌は、刑期を終えるまでの「囚人の輝き」に過ぎなかったことになる。

富士山の名に秘められた真実|帝の悲しみと、現代に残る「不老不死」の記憶

地上での滞在が終焉を迎えるのは、旧暦8月15日——一年で最も月が明るく輝く「中秋の名月」の夜である。物語がこの日を帰還日に選んだのは、単なる風情ではない。天人が降臨する際の圧倒的な光の演出と、逃れようのない「満了」を象徴するためだ。

地上での滞在が終焉を迎える際、かぐや姫は帰還を強く拒絶する。老夫婦との情愛に、当初は存在しなかった「人間的な執着」が生じていたためだ。

しかし、月界の法執行(月の使者の降臨)に情緒が介在する余地はない。刑期の満了とともに、彼女は速やかに「月の住人」へと復帰させられる。

特筆すべきは、迎えの天人が持参する「天の羽衣」の機能である。

姫は「これを着れば心が変わってしまう」と抵抗し、最後の手紙を認める時間を乞う。

だが、一度羽衣を羽織った瞬間、地上での恩義も記憶も、一切の温かな感情は強制的に抹消(リセット)される。

これは慈悲による解放ではなく、月界という高度な秩序を維持するための、非人道的な「個の消去」に近い。

物語には、残された側による残酷な後日談がある。

月へ去った彼女が帝に遺した「不死の薬」を、帝は「彼女のいない世界で生きるに値しない」と断じ、日本で最も高い山頂にて焼却を命じた。

その山こそが「不死(ふし)」の山、富士山である。

また、帝が不死の薬を焼くために、多くの「士(つわもの)」を引き連れて山へ登ったことから「士に富む山=富士山」と名付けられたという言葉遊び(地名起源説)も記されている。

稀有な事例として、静岡県富士市の比奈地区には、姫が月には帰らず、富士山へ消えた伝説が残り、今も「竹採塚」や「滝川神社」の地で山の神として祀られている。

今も立ち昇る雲は、かぐや姫に届くことのない無意味な執着を焼き続ける煙に他ならない。

「飛ぶ車に乗りて、百人ばかりの天人具して昇りぬ。」(『竹取物語』より)

この考察をもとにした短編小説はこちら。
『竹取物語異聞:なぜに、かぐやは月を追われた?』