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番外編① なぜ猫はいないのか──排除された獣たちの物語

Famous Scenes in Japan K. Tamamura, [1900s] Courtesy of the National Diet Library, Japan031 ※一部トリミング 童話・寓話
童話・寓話
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1. なぜ猫はいないのか──民話と問いの発端

干支の輪を思い浮かべるとき、ふと気づくことがある。 そこには、私たちの暮らしにもっとも身近な動物のひとつ──猫の姿がない。

犬はいる。虎もいる。蛇や龍までいるのに、猫だけがいない。 なぜだろう? どうして、猫は干支に入れなかったのだろう?

この問いに対して、昔話はひとつの答えをくれる。 神様が動物たちに「元旦の朝、最初に挨拶に来た順に年を与える」と告げたとき、 猫は日付を忘れてしまい、ネズミに尋ねた。 ネズミはわざと一日遅れの日を教え、猫は間に合わず、干支に入れなかった。 それ以来、猫はネズミを恨み、追いかけるようになった──という話。

けれど、この物語はどこかおかしい。 なぜ、猫は日付を忘れたのか? なぜ、ネズミは嘘をついたのか? そして、なぜ神様は、猫を許さなかったのか?

この昔話の奥には、もっと深い“時間の構造”が隠されているのではないか。 猫が干支にいない理由は、単なる偶然やいたずらではなく、 “時間の輪”そのものが持つ、ある種の排除の論理を映しているのかもしれない。

2. 干支とは何か──時間を支配する“獣の輪”

干支(えと)とは、単なる動物のカレンダーではない。 それは、時間に性格を与えるための装置であり、 自然のリズムと人の営みを重ね合わせるための“知恵の体系”だ。

「子」は始まりの胎動、「午」は陽の極み、「亥」は終わりの核。 それぞれの干支が、時間のある一面を象徴し、 その性質によって“選ばれた”動物たちが、12の座を埋めている。

この輪は、ただ順番に並んでいるのではない。 それぞれが、季節、方角、五行、さらには人の気質や運命と結びつき、 複雑な時間の地図を描き出している。

干支とは、時間を“獣の姿”で表現したもの。 それは、自然界の動きと人間の感覚をつなぐ、象徴の連環だ。

だからこそ、そこに加わる動物は、 単に人気があるとか、身近であるという理由では選ばれない。 干支の輪に入るということは、 “時間の一部を担う”ということ。 つまり、世界の秩序の一角を任されるということなのだ。

では、猫はどうだろう? その気まぐれな性質は、時間の秩序にふさわしいのだろうか? あるいは、秩序の輪に加わるには、何かが“足りなかった”のだろうか?

3. 猫という異質──時間の外に生きるもの

猫は、どこか“時間”に馴染まない。 昼でも夜でもなく、境界を漂い、 呼べば来るが、呼ばれなくても現れる。 人に寄り添いながらも、決して完全には従わない。

干支が描くのは、秩序ある時間の流れだ。 「子」から「亥」へと巡る12の獣たちは、 それぞれが季節や方角、気の流れを担い、 世界を支える“時間の柱”として機能している。

だが、猫はその輪の中にいない。 それは、ただ忘れられたからではない。 猫が“時間の外側”に生きる存在だからだ。

猫は、昼夜のリズムに従わない。 人が眠る夜に目を覚まし、 静寂の中でひとり遊び、ひとりで満ち足りる。 その姿は、まるで“時間の隙間”に棲む影のようだ。

干支の獣たちが、時間の秩序を象徴するならば、 猫はその秩序の外にある“異質”の象徴。 だからこそ、輪の中に加わることができなかった。 あるいは、自ら加わることを望まなかったのかもしれない。

猫は、時間の流れに抗わない。 けれど、従いもしない。 ただ、自分のリズムで、世界を歩く。 それは、干支の輪の外にある、もうひとつの時間のあり方だ。

4. 排除された獣たち──もうひとつの干支史

猫だけではない。 干支の輪からこぼれ落ちた動物たちは、他にもいる。

たとえば、狐。 神の使いとして神社に祀られ、 人と神のあわいを行き来する存在。

たとえば、狼。 山の守り神として畏れられ、 境界を越える者として語られてきた。

たとえば、狸やカラス。 人を化かし、死者の魂を導くものとして、 異界との接点を担ってきた動物たち。

彼らは、民間信仰や神話の中で重要な役割を果たしてきたにもかかわらず、 干支の輪には加えられていない。

なぜか?

それは、彼らが“境界を越える者”だからだ。 干支が象るのは、秩序ある時間の流れ。 春夏秋冬、昼と夜、陰と陽── そのリズムを守り、支えるために選ばれたのは、 “わかりやすく、役割を担える獣たち”だった。

一方で、狐や狸、猫のように、 人と自然、現世と異界、秩序と混沌のあわいに生きる存在は、 その輪の中に収まりきらなかった。

彼らは、時間の“外側”にいる。 けれど、だからこそ、 干支の輪が回るためには、彼らの存在が必要なのかもしれない。

秩序は、常に“外部”を必要とする。 輪の中に入れなかった者たちは、 その外側から、時間の流れを見つめている。 あるいは、見えないところで、 その輪を支えているのかもしれない。

5. 猫の時間──もうひとつのリズムを生きる

猫は、干支の輪の中にいない。 けれど、それは“いない”のではなく、 “別の時間”に生きているということなのかもしれない。

干支が描くのは、世界の時間。 季節の巡り、昼と夜の交替、 人の営みと自然の呼吸が重なり合う、秩序あるリズム。

だが、猫はその外側にいる。 それは、秩序の隙間に生まれる、自由なリズム。 誰にも決められず、誰にも縛られず、 ただ、自分の感覚に従って動く時間。

それは、私たちが時に感じる“時間の外にいるような感覚”に似ている。 何も決まっていない、何も急かされない、 ただ、静かに自分の内側を見つめるような時間。

猫の時間は、干支の輪の外にある、もうひとつの螺旋。 それは、秩序の補助線であり、 ときに秩序を揺さぶり、 ときに秩序の隙間から、世界に新しい風を吹き込む。

干支の輪が、世界の時間を刻むなら、 猫の時間は、個の時間を照らす。 それは、誰かの目に触れずとも、確かにそこにある。 静かに、しなやかに、 私たちのすぐそばで、息をしている。