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「人魚姫」異聞 ――私の幸せを返して

チャールズ・ロビンソンによる「人魚姫」の挿画。波間から顔を出した人魚姫の周りを、鮮やかなピンク色の魚たちが泳いでいる。19世紀末の明るく華やかな色彩のイラスト。 寓界星
出典:『Fairy Tales from Hans Christian Andersen』(1899年刊)より。チャールズ・ロビンソン(Charles Robinson)画。ウィキメディア・コモンズより。
寓界星
この記事は約13分で読めます。

「どうして、私の幸せを書いてくれないの?」
ペンを置こうとした僕の前に現れたのは、物語の結末を拒絶する人魚姫だった。
残酷な美しさを求める作家の「エゴ」と、ただ普通に笑いたかった少女の「願い」。
原稿用紙の上で繰り広げられる、作者とキャラクターの残酷な決別。
――これは、美しき悲劇の裏側に隠された、人魚姫の「呪い」の物語。

第0章:冒頭(決裂)

――泡となって、海に消える。その一文を書いた瞬間だった。

机の上の人魚姫が、笑顔のまま固まった。

「……は?」

いつも陽気で強気な彼女の声が震える。

「ちょっと待ってよアンデルセン。何それ。
声を失っても幸せでいられるのは、
その先に“本物の幸せ”があるからでしょ?」

人魚姫の笑顔が、ゆっくりと崩れていく。

「アンデルセン……どうして……?」

泣きそうな顔で、僕を見上げる。

「……僕には、こうとしか書けない」

「アンデルセン……わたし、幸せになりたかったのに

「……アンデルセン」

最後に呼ばれた僕の名前は、もう声になっていなかった

手を伸ばしたけれど、彼女はもういなかった。

第1章:出会い

――数週間前。

次の作品が書けず、僕は机に突っ伏していた。
出版社からの催促状が、机の端に積み上がっている。

「アンデルセンさん、次の原稿はいつ頃に……?」

耳の奥で、誰かの声が響くような気がして、僕は頭を抱えた。

(……幸せな物語を書けと言われても、僕には無理だ

恋も、愛も、報われる未来も知らない。
だから、書こうとすると手が止まる。

白紙の原稿用紙が、僕を責めるように見つめていた。

「……海の話でも書くか」
海なら、まだ書ける気がした。

原稿の素材を探して、僕は古い民間伝承の本をめくっていた。
海の怪異、船乗りの噂、海辺の妖精――どれも決め手に欠ける。

波の音。泡。光。深い青。

(海の底に、誰かいたら……)

(……人魚か)

ページの端に挟まれた挿絵には、
海辺で踊る陽気な人魚が描かれていた。

気まぐれで、好奇心旺盛で、いたずら好き。
人間を助けたり、からかったり、誘惑したり。

こういう明るい存在なら……僕にも書けるかもしれない

そう思ってペンを取った瞬間だった。

机の上で、水滴が跳ねた。

「やっほー!」

顔を上げると、濡れた尾びれを揺らす小さな人魚が、
そこにちょこんと座っていた。

「……君は、誰だ?」

あなたが今、思いついた“わたし”よ! よろしくね!

満面の笑顔。
陽気で、強気で、未来を疑わない瞳。

(……伝承の人魚より、ずっと人間くさい)

「さあ書きましょ! わたし、王子と出会うんでしょ?」

「……王子?」

「そうだよ! 私、幸せになるんだから!

(……伝承には“王子”なんて出てこない)

その瞬間、胸の奥に小さな違和感が生まれた。

この子は……僕が読んだどの人魚とも違う

(いったい、どこから来たんだ?)

第2章:嵐と救出

「じゃあ……ここからは、原作をなぞる形で進めようと思うんだ」

僕がそう言うと、人魚姫はぱっと顔を輝かせた。

「原作? いいよいいよ! なんでも書いて! わたし、楽しみ!

(……伝承の人魚より、ずっと人間くさい)

「まずは嵐の夜。君が王子を助けるところから始めようと思う」

僕がそう言うと、人魚姫は机の上でぴょんと跳ねた。

「きた! ここ大事! 劇的にお願いね!

「劇的に……?」

「そう! だって、ここで王子が、わたしに惚れるんだから!

僕は苦笑した。

(原作の人魚姫は、こんなに前向きじゃなかったはずだ)

「じゃあ書くよ。嵐の夜、船が沈みかけて……」

「うんうん!」

彼女は机の上で足をぱたぱたさせながら、
まるで自分の未来を信じ切っているように笑っていた。

原作って、ハッピーエンドなんでしょ?

僕は苦笑しながら、ペンを走らせた。

「――嵐が来る。船が大きく揺れて……」

「もっと! もっと荒れて!」

「そんなに?」

「だって、私が助けるんだよ? 迫力ないと!」

(……伝承の人魚は、こんなに演出にうるさくない)

「じゃあ……雷が落ちて、船が真っ二つに――」

「よし! それそれ!」
「王子が海に落ちるよ」

「落ちた! よし、行く!」

人魚姫は机の上で、まるで本当に海に飛び込むみたいに身を乗り出した。

「ちょ、ちょっと落ち着いて」

「落ち着いてられないよ! 王子が沈んじゃう!

(……原作の人魚姫は、もっと静かで、もっと内気だった)

「君は王子を抱えて、海面へ――」

「抱える! 抱えるよ! ぎゅーって!

「ぎゅーって……?」

だって好きになるんだもん!

僕は思わずペンを止めた。

(……この子、本当に“原作の人魚姫”なのか?

「で、王子はわたしの顔を見て……」

「いや、気絶してるから見えないよ」

「えっ!? なんで!?」

「原作がそうだから」

原作って不親切だね!

(……それは否定できない)

「じゃあ……王子が沈んでいくよ」

「沈む!? ちょっと待って、どこどこ!?」

人魚姫は机の上で立ち上がり、
まるで本当に海を覗き込むみたいに身を乗り出した。

「落ち着いて。まだ書いてる途中だから」

「途中!? 早く助けてよアンデルセン! 王子が死んじゃう!

(……原作の人魚姫は、こんなに慌てなかったはずだ)

「君は海の中を泳いで、王子に手を伸ばす」

「伸ばす! 伸ばした! つかんだ!」

「……まだ書いてないよ」

「書いて! 早く書いて!」

僕は苦笑しながらペンを走らせた。

「――人魚姫は王子の身体を抱き寄せ、海面へと浮かび上がる」

「抱き寄せた! ぎゅーって!

「ぎゅーって……そんな描写、原作には――」

「だって好きになるんだよ? ぎゅーってしないと伝わらないよ!

(……この子、本当に“原作の人魚姫”なのか?)

「で、王子は、わたしの顔を見て……」

「いや、気絶してるから見えないよ」

「えっ!? なんで!?」

「原作がそうだから」

原作って、ほんと不親切!

人魚姫は頬をふくらませた。

その仕草があまりにも可愛くて、
僕は思わずペンを止めてしまった。

(……この子には、幸せになってほしい

(でも――)

胸の奥に、言葉にならない違和感が沈んでいった。
そして、眩しければ眩しいほど、僕のペン先は冷たくなっていく

「じゃあ……王子が浜辺に運ばれるよ」

「うんうん! ここで、わたしのこと、好きになるんだよね!

人魚姫は机の上で足をぱたぱたさせながら、
まるで自分の未来を信じ切っているように笑っていた。

(……その笑顔が、少し眩しい)

「王子は気絶していて……」

「うん!」

「そこに、別の姫が現れる

「……え?」

人魚姫の笑顔が、ほんの一瞬だけ止まった。

「別の……姫?」

「うん。王子はその姫に助けられたと勘違いするんだ

「え、なんで?」

「原作がそうだから」

原作って……ほんと不親切だよね!

人魚姫は無理に笑った。
いつもの陽気な声なのに、どこか震えている

第3章:声を失う前の“ズレ”

「じゃあ……ここから、魔女のところへ行くよ」

僕がそう言うと、人魚姫はいつものように笑おうとした。
でも、その笑顔は救出のときみたいに弾けなかった。

「……ねえアンデルセン。声を失うって、どんな感じなの?

「どんな……?」

「痛いの? 苦しいの? それとも……ちょっと寂しいだけ?」

僕は答えられなかった。原作の人魚姫は、こんな質問をしなかった。

「魔女は言うよ。『声を失えば、二度と歌えない。歩くたびに刃物の上を歩くような激痛を伴う足を得る』と」

「……刃物?」

人魚姫は、机の上で小さく膝を抱えた。

「わたしの声って……そんなに大事?」

「大事だよ。君の歌声は、海の誰よりも美しい」

「そっか……」

彼女は喉にそっと手を当てた。

「でも、王子のそばに行けるなら……いいよね? 好きになるんだもん。だったら、声くらい……なくても……」

言葉が少しだけ途切れた。この子は、本当は震えるほど怖いのだ

「……大丈夫だよね? わたし、ちゃんと幸せになれるよね?

「……うん。そう書くよ」

「そう書く……?」

人魚姫は僕の顔をじっと見つめた。その瞳は、インクを吸う前の真っ白な原稿用紙のように、あまりにも純粋で、空虚だった

「アンデルセンが書いてくれるなら……わたし、信じるよ

その言葉は、もはや祈りだった。

「じゃあ……書いて。わたし、声を失っても……幸せになるんだよね?」

僕はペンを握りしめた。胸の奥に、冷たいものが沈んでいく。
(……本当に、僕にそんなことが書けるのか?

第4章:声を失う

「――人魚姫は、声を差し出した」

その瞬間、人魚姫の唇が震えた。「……あ……」
声にならない吐息が、空気に溶けて消える

(……書いてしまった)
僕の指先から伝わったインクが、彼女の喉を焼き、その美しい歌声を奪い去ったのだ。胸の奥に、どろりとした罪悪感が沈んでいく

「じゃあ……王子と再会するよ」

僕が絞り出すように言うと、人魚姫はぱっと顔を輝かせた。
声は失われても、その笑顔は救出のときと同じくらい眩しい。
その眩しさが、今の僕には刃のように突き刺さる

「……王子は、君のことを覚えていない」

「うん、知ってる。でも……会えるんだよね?」

声の代わりに、彼女の瞳がそう問いかけてくる。
僕は、震えそうになるペンを無理やり紙に押し付けた。

「うん。会えるよ」

人魚姫は机の上でくるりと回った。まるで踊るみたいに。
(……この無邪気さを、僕はこれから一文字ずつ、惨劇に変えていかなければならないのか

「王子は君を城へ連れて行くよ」

「連れて行かれる! よし、手を伸ばす!」

彼女は机の上で、王子の手を取る仕草をした。その動きは可愛くて、健気で
……だからこそ、見ていられないほど空回りしていた。

「王子は……君を“助けてくれた姫”だとは思わない」

「…………そっか」
人魚姫は、少しだけ目を伏せた。

(……書くな。もう、これ以上は書くな
心のどこかで、もう一人の僕が叫んでいる。けれど、僕の右腕は、物語の結末を知る「作家」としての冷徹な意志に支配されていた。

「王子はね、その姫のことを“自分を助けてくれた人”だと思ってる」

僕がそう言うと、人魚姫は一瞬だけ首をかしげた。

声は出ない。
でも、表情だけで「どういうこと?」と聞いてくる。

「……」

「君じゃなくて、その姫だと思ってるんだ」

人魚姫は、机の上で小さく瞬きをした。
その仕草は、救出のときの無邪気さとは違っていた

「王子は……その姫に心を寄せ始めるよ」

その瞬間、
人魚姫の肩が、かすかに震えた。

「……っ」

人魚姫は、机の上で小さく瞬きをした。

「…………そっか」

人魚姫は、少しだけ目を伏せた。

「でも……でもね、アンデルセン」

「うん」

「声がなくても…… いつか、気づいてくれるよね?

その瞳は、まだ未来を信じていた。

その瞳の輝きが、一滴のインクが混じったように、わずかに濁っていく
僕は、彼女から目をそらすようにして、次の残酷な一文へとペンを走らせた。

「でも、君のことも大切に思ってるよ。
 “海から来た不思議な娘”として」

その言葉に、人魚姫は無理に笑った。

笑おうとした。
でも、その笑顔は形にならなかった。

「……」

彼女は机の上で、王子の手を取る仕草をした。
でも、その手は空を掴むだけだった

(……この子は、まだ信じている)

(でも、もう届かない)

「王子は言うよ。 “君は優しいね。
 でも……僕を助けてくれたのは、あの姫なんだ”」

人魚姫の瞳が、ゆっくりと揺れた。

「…………」

声が出ない。
言い返せない。
否定できない。

ただ、揺れる瞳だけが真実を語っていた。

「……大丈夫だよ。君は、まだ王子のそばにいられる」

僕がそう言うと、人魚姫は小さく頷いた。

でも、その頷きは震えていた。

(……この子の笑顔が、壊れ始めている

胸の奥に、冷たい痛みが沈んでいった。

第5章:姉たちの夜

王子が“別の姫”に心を寄せ始めた頃。

人魚姫は、城のバルコニーで夜の海を見つめていた。
声は出ない。

笑顔も、もううまく作れない。

「……」

そのときだった。

――水面が揺れた。

「……っ」

人魚姫は目を見開いた。

波間から、長い髪がゆらりと浮かび上がる。
ひとり、またひとり。

「……姉さん……?」

声は出ない。でも、その唇は確かにそう動いた。

姉たちは静かに微笑んだ。
その笑顔は、海の底のように深くて、優しかった。

「あなた……大丈夫?」

「王子のそばにいるのに、
 どうしてそんな顔してるの?」

人魚姫は、震える手で胸を押さえた。

「…………」

言えない。
言いたいのに、声が出ない

姉たちはその沈黙を理解したように、
そっと彼女の手を握った。

「あなた、ずっと頑張ってるのね」

「痛いのに、苦しいのに……
 笑おうとしてるの、知ってるよ

人魚姫の瞳が揺れた。

「…………っ」

涙が、ひと粒だけこぼれた。

姉たちはその涙を指で拭った。

「私たち、あなたを助けに来たの」

王子が誰を選んでも……あなたが消えないように

その言葉に、人魚姫は息を呑んだ。

「……っ」

姉たちは、海の底から持ってきた“短剣”を差し出した。

「これで王子を――」

その瞬間、人魚姫は首を横に振った。

強く、強く。

声は出ないのに、
その拒絶は、はっきりと伝わった。

「……そう。あなたは優しい子だものね」

姉たちは悲しそうに微笑んだ。

「でも……優しいだけじゃ、あなたは――

言葉が続かなかった。

人魚姫は、震える笑顔を作った。

「…………」

その笑顔は、もう壊れかけていた。

第6章:結婚宣言の夜

「じゃあ……王子が、結婚を宣言するよ」

彼のペン先が、あまりの冷たさに凍りつき、紙を小さく引き裂いた。

僕がそう言った瞬間、人魚姫は小さく瞬きをした。

声は出ない。
でも、その表情だけで「え?」と聞いてくる。

「王子はね……“自分を助けてくれた姫”と結婚すると言うんだ

人魚姫の笑顔が、ふっと消えた。

「…………」

机の上で、彼女の指が震えた。

「王子は言うよ。“あの姫こそ、私の命の恩人だ”」

その言葉に、人魚姫はゆっくりと目を伏せた。

声が出ない。だから、否定できない。

「王子は……君のことを大切に思ってる。でも、恋ではない

人魚姫の肩が、かすかに揺れた。

「……っ」
ただ、震えだけが伝わる。

「王子は、君にこう言うよ。 “君は優しいね。
 でも……私の心は、あの姫にあるんだ”」

「…………」
彼女は笑おうとした。でも、笑えなかった。

唇が震えて、
形にならない笑顔が崩れていく

「……っ……」
声が出ない。
叫べない。
泣き声すら上げられない

ただ、沈黙だけが痛みを語っていた

「大丈夫だよ。君はまだ、王子のそばにいられる」

僕がそう言うと、
人魚姫はゆっくりと首を横に振った。

その仕草は、“もう無理だよ”と静かに告げていた。

(……この子の世界が、崩れていく

胸の奥に、冷たい痛みが沈んでいった。

第7章:最後の夜(短剣の拒絶〜海へ)

王子の結婚宣言の夜。

城は祝宴の準備で明るかった。
笑い声、歌声、灯りの揺らめき。

そのすべてが、人魚姫には遠い世界の音に聞こえた。

彼女はひとり、海の見えるバルコニーに立っていた。

声は出ない。
涙も、もう出なかった。

「…………」

足は痛い。
歩くたびに刃物の上を歩くように。

でも、彼女はその痛みに慣れてしまっていた

(……慣れたくなんて、なかったのに)

人魚姫は、そっと夜の海を見下ろした。

波が寄せては返す。
その音だけが、彼女を迎えてくれる。

「…………」

ふいに、海面が揺れた。

姉たちが、静かに姿を現した。

「あなた……大丈夫?」

「最後の夜なのに、そんな顔して……」

人魚姫は、ゆっくりと首を横に振った。
大丈夫じゃない。でも、声が出ないから言えない

姉たちは、短剣を差し出した。

「これで王子を――」

人魚姫は、強く、強く首を振った。
その拒絶は、涙よりも雄弁だった

「……そう。あなたは、優しい子だものね」

姉たちは悲しそうに微笑んだ。

「でも……優しいだけじゃ、あなたは消えてしまう

人魚姫は、震える笑顔を作った。笑おうとした。
でも、笑えなかった。

「…………」

姉たちは、彼女の手を握った。
「私たちは、あなたを愛してるよ」
「あなたが消えても、忘れない」

その言葉に、人魚姫の瞳が揺れた。

(……消える)
わたし、消えるんだ

その事実が、ようやく胸に落ちた。

でも――
彼女は泣かなかった。

泣けなかった。声も、涙も、もう残っていなかった。

ただ、静かに海を見つめた。

夜風が、彼女の髪を揺らした。

その姿は、まるで最初から“泡になる運命”を受け入れていたかのように
静かで、美しかった。

人魚姫は、静かに海へ歩いていった。
刃物の上を歩くような痛みも、もう感じなかった。

(……もう、痛くない

海風が、彼女の髪を揺らした。

夜が明けた。

王子の結婚式の鐘が、遠くで鳴っていた。

第8章:決裂

「……ねえ、アンデルセン」

声は出ないはずなのに、その問いかけは僕の脳裏に直接響いた。

「どうして、この二つしかないの?

僕はペンを止めた。

「二つ……?」

「王子を殺して人魚に戻るか、それとも、王子を殺さずに泡になるか。
 ……どうして、それしかないの?」

僕は言葉に詰まった。

「それは……それが、物語としての“美しさ”だからだ
 悲劇こそが、君を永遠の存在にする。……僕は君のために、最高の結末を用意したいんだ」

「わたしのための……最高の結末?」

「わたしが欲しかったのは、永遠なんてものじゃない。
 王子と結ばれて、普通に笑って、普通に生きたかっただけ。
 ……どうして、その選択肢を書いてくれないの?

「それは……」

「書けないの? それとも、書きたくないの?」

彼女の瞳が、真っ白な原稿用紙を突き刺すように射抜く。

「アンデルセン。あなたの書く“最高の結末”には、わたしの幸せが入っていない
 ……そんなの、ただのあなたの自己満足じゃない!」

僕は震える手で、彼女の頬を伝う透明な雫(しずく)を見つめた。
その絶望に濡れた顔があまりにも完璧で、物語の幕引きとしてこれ以上ないほど「美しい」と思ってしまった

君が泣けば泣くほど……僕の指先は、歓喜に震えて、止まらないんだ

僕は、自分の喉の奥から漏れたその言葉に、自分自身で戦慄(せんりつ)した。

(……この子は、僕の欠落を埋めるための、ただの生贄(いけにえ)なのか?)

「……最低――わたしの幸せを返して……

彼女の軽蔑に満ちた視線が、僕の歪んだ作家としての心臓を正確に射抜いた。

「……でも、僕には、こうとしか書けないんだ」

――泡となって、海に消える。」と、最後の1行を書きつけた。


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