直木三十五と志賀直哉、その「読者」の正体
直木三十五と志賀直哉。 二人の文学は、まったく違う場所で育ち、 まったく違う読者に支えられていた。
その“読者の違い”こそが、 二人の文学観、生き方、速度、そして最期の言葉までを決定づけた。
1. 冬夏社──文学が“商品”になる瞬間(1920年)
1920年、直木は葛西善蔵、広津和郎らとともに 出版社「冬夏社」を立ち上げる。
動機は単純で、切実だった。
「自分たちの本を売って、生活の糧を得るため。」
冬夏社は、文学の理想ではなく、 生活の現実から始まった出版社だった。
● 実務の泥沼と「借金取り」
直木は執筆者であり、編集者であり、営業であり、経営者だった。
- 印刷所との交渉
- 資金繰り
- 原稿整理
- 宣伝文句の作成
原稿を書く傍らには、 常に借金取りが控えていた。
「私は、家賃を払うために、米を買うために書くのだ。」
一冊が売れるかどうかが、その日の飯に直結する世界。 文学はまず、生存のための“商品”だった。
● 読者の正体
冬夏社の読者は、 思想家でも文学青年でもない。
都市の一般市民、労働者層。
彼らが本を買う基準はただ一つ。
「面白いか、否か。」
葛西善蔵の『子を連れて』は文壇的評価を得たが、 経営を支えるほどのヒットにはならなかった。
読者は作家の苦悩を“芸術”として愛でるより、 もっと刺激的な娯楽を求めていた。
● 読者に選ばれない恐怖
直木はここで痛感する。
「どれほど文学的価値があっても、 読者の財布を開かせなければ死ぬ。」
この恐怖が、 後の“エンタメ徹底主義”を生む。
2. プラトン社──数万部の怪物との遭遇(1924年)
冬夏社が数百〜千部の世界だったのに対し、 1924年、大阪のプラトン社で手がけた雑誌『苦楽』は 一気に数万部へ跳ね上がる。
直木はここで“市場の怪物”を知る。
● 数千ではなく、数万、数十万
直木は悟る。
「文学は数で世界を変える。」
後に『南国太平記』などの新聞連載で 数十万、数百万の読者に届くようになると、 直木の“数への執着”は決定的になる。
直木にとってヒットとは、 桁外れの数字であり、 生活の糧そのものだった。
3. 対比:志賀直哉と『白樺』の読者
直木が“数万の大衆”と向き合っていた頃、 志賀直哉はまったく別の読者層を抱えていた。
● 『白樺』の読者はエリート層
旧制高校・大学の若きエリートたち。
彼らは志賀の文章を“人生の指針”として読み、 志賀の生活態度すら模倣した。
● 数は少ないが、密度が異常に高い
創刊号は500部。 全盛期でも数千部。
しかしその“数千部”が、 国家のエリート層を丸ごと洗脳した。
志賀の文章は「正義の文章」と崇められ、 沈黙すら「啓示」として受け取られた。
● 神格化への直結
“売れすぎないが、選ばれた人間は皆読んでいる” という状況が、志賀を神へと押し上げた。
志賀直哉は、 読者の質によって神になった作家だった。
4. 直木三十五──市場と生活が生んだ“疾走”
冬夏社で“読者に選ばれない恐怖”を知り、 プラトン社で“大衆の爆発”を知り、 直木は完全に“動の作家”として覚醒する。
- 読者は神ではなく市場
- 文学は理想ではなく商品
- 書くことは生活の闘争
- 数がすべてを決める
志賀直哉が“沈黙で神になる”作家なら、 直木三十五は“疾走で生きる”作家だった。
5. 対抗:志賀直哉という「特権」への砲撃
直木は志賀の文章を認めつつも、 その内閉性を厳しく批判した。
「志賀直哉は、一人の人間としては立派かもしれないが、 作家としてはもう死んでいる。」
直木にとって、 読者の生活や時代の熱狂から隔絶された志賀の“静謐”は、 ただの“逃避”に映った。
「書かないことで神格化されるのは、文学への不誠実だ。 俺たちは泥を啜りながら、読者と心中するのだ。」
これは白樺派への宣戦布告でもあった。
6. エピローグ:神様が漏らした「本音」
1934年、直木が43歳で死んだとき、 志賀直哉は追悼文で驚くべき言葉を遺した。
「直木君は自分と全く反対の性質を持つてゐたが、 其處に、何か自分に無いものを持つてゐるやうな、 一種の羨望を感じてゐた。」
また志賀直哉は「自分は一本の棒のようだが、直木君は円のようにどこへでも転がっていける」とも評しています。
沈黙の神は、 直木の“数に愛され、泥にまみれて疾走する姿”に、 自分が捨て去った“生の熱量”を見ていた。
7. 市場と生活が生んだ“疾走”
冬夏社で“読者に選ばれない恐怖”を知り、 プラトン社で“大衆の爆発”を知り、 直木は“動の作家”として完成した。
志賀直哉が“静の神”なら、 直木三十五は“動の炎”だった。
そして直木の死によって初めて、 二人の「読者」はひとつの文学史として交差した。
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