――その消失は、偶然ではなかった。
ある日、彼らは姿を消した。
かつては国家の奥にいて、星を読み、方角を定め、災いを祓い、死者を鎮めていた。
その名を呼べば、何かが動き、何かが止まり、何かが封じられると信じられていた。
陰陽師。
だが、気づけば彼らは歴史の背後に退き、
その名は神社の石碑に、あるいは創作の中の“キャラクター”としてしか残っていない。
なぜ彼らは消えたのか。
それは、単なる時代の流れではない。
陰陽師の消失は、ある種の“知”が国家から追放される物語だった。
そしてその痕跡は、今もなお、都市の構造や言葉の端々に、かすかに残っている。
◾️ 陰陽寮という制度
陰陽師は、もともと“個人の霊能者”ではなかった。
彼らは国家に仕える官人であり、律令制の中に組み込まれた制度的存在だった。
天武天皇の時代、飛鳥浄御原令により「陰陽寮」が設置される。
これは、天文・暦・漏刻・風水・占い・呪術など、
“見えないもの”を扱う知を国家が一元管理するための機関だった。
陰陽寮の役割は多岐にわたる。
暦を作り、天文を観測し、災異を占い、方角を定め、
国家の儀礼や遷都の時期を決定する。
つまり、国家の時間と空間を設計する知の中枢だった。
◾️ 陰陽師の“知”とは何だったのか
陰陽師の知は、単なる占いや迷信ではない。
それは、自然と人間のあいだに秩序を見出し、調整するための技術体系だった。
天文──星の動きは、天の意志を映す鏡。
暦──季節と政治を結びつける、国家のリズム。
方位──空間に潜む“気”の流れを読み、都市を設計する。
呪術──災いを祓い、死者を鎮め、秩序を保つための言葉と儀式。
これらはすべて、バラバラではなく、ひとつの体系として統合されていた。
陰陽師は、その体系を“読む者”であり、“運用する者”だった。
◾️ 近代国家と“見えないもの”の排除
明治維新は、制度の大転換だった。
神仏分離、廃仏毀釈、西洋化、科学主義、中央集権。
その中で、陰陽寮は廃止され、陰陽道は“迷信”として排除されていく。
国家は、もはや“見えないもの”を必要としなかった。
星の動きよりも、時計の針。
方角よりも、測量と地図。
呪術よりも、法と警察と医学。
陰陽師の知は、国家の論理にとって“不都合な知”となった。
それは、制御できないもの、合理化できないもの、
つまり“近代”の枠組みからはみ出すものだった。
◾️ 消えたのではなく、“分解”された
だが、陰陽師の知は、完全に消えたわけではない。
それは、制度の中で分解され、別の名前で生き延びていった。
天文は科学へ。
暦は気象庁へ。
呪術は宗教へ。
方位は風水や民間信仰へ。
それぞれの断片は、別の制度に吸収され、
“陰陽師”という統合的な存在だけが、歴史から姿を消した。
あなたのすぐ隣に、今も、かすかに息づいている。
陰陽師は、制度としては消えた。
だが、その知は、完全には死んでいない。
けれど、統合された“見えない秩序”としての陰陽師は、
もうどこにもいない。
あるいは、こう言うべきかもしれない。
彼らは、見えなくなっただけなのだ。
その痕跡は、都市の構造に、言葉の端々に、
そして──
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