1. 聖域の継承――瀧井孝作と阿川弘之
志賀直哉という絶対的な「正解」を前に、後の作家たちは二つの道に分かれた。志賀が最も深く愛したのは、師の文体を「写経」し、その写実精神を忠実に継承した弟子たちだった。
瀧井孝作が『無限抱擁』を著した際、志賀は 「自分以外にこれほど良い文章を書く男がいるとは思わなかった」 と絶賛し、直系の後継者として文壇へ送り出した。瀧井は文体だけでなく、生活の姿勢まで志賀に倣い、志賀の“清潔主義”を最も純粋な形で継承した。
晩年の弟子・阿川弘之もまた、志賀の身辺を「事実」に徹して記録し続けた。志賀の死後も、阿川は『志賀直哉』などの著作を通じ、文壇における“志賀的正統”を支え続けた。彼らにとって志賀の文章は、守るべき“聖域の基準”であり、そこには嘘も装飾も入り込む余地がなかったのである。
2. 異端の憧憬――三島由紀夫の「写経」
一方、後に装飾の限りを尽くす三島由紀夫も、少年時代は志賀直哉の「写経」から出発している。三島は志賀の文章を 「これ以上削れば崩れる、ダイヤモンドの硬度」 と評し、その無機質な完璧さに病的なまでの憧れを抱いていた。
三島は若い頃、志賀に弟子入りを願い出たが、志賀はこれを断っている。この出来事は、三島にとって“父に拒絶された体験”として深く刻まれた。三島にとって志賀は、誰よりも高く、誰よりも冷酷な「父」のような存在だったのである。
3. 決裂――清潔な「写生」 vs 不潔な「人工」
しかし、志賀は三島の才能を認めつつも、その作風を 「不潔」「嫌な感じ」 と一蹴した。志賀が重んじたのは「自然(あるがまま)」であり、三島が構築した華麗なレトリックや複雑な心理分析は、志賀の眼には「事実に加えた不純物」に映った。
これに対し三島も反旗を翻す。
「志賀さんは見たものを写す名人だが、私は鏡そのものを作り替える知性が欲しい」
三島は、志賀的な私小説を「ただの鏡(素材)」に過ぎないと批判し、志賀が完成させた“写実の檻”を破壊しようと、虚構の構築へ突き進んだ。
4. 二つの結末――継承と破壊の先に
志賀を継承した弟子たちは、戦後の文壇で「良質な写実」という伝統を静かに守り抜いた。一方で三島は、志賀が忌み嫌った「芝居(虚構)」を極め、最後には自らの肉体を使って 「切腹」という劇的な虚構 を完成させた。
志賀が提示した「清潔な文章」という絶対的な正解。それを守ろうとした者たちと、その美しさに絶望し、破壊しようとした異端児。この分岐こそが、志賀直哉という存在がいかに巨大な文学的重力であったかを物語っている。存在がいかに巨大な“文学的重力”であったかを証明している。
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