当ブログの「正しい」歩き方はこちら

第6話:志賀直哉 vs 太宰治

第6話:志賀直哉 vs 太宰治のアイキャッチ画像 文学・文壇
第6話:志賀直哉 vs 太宰治
文学・文壇
この記事は約2分で読めます。

「正解」と「絶望」が激突した瞬間

1. 志賀直哉による「死刑宣告」――座談会で放たれた『斜陽』への酷評

1948年5月、雑誌『文学の世界』の座談会で、志賀直哉は太宰治『斜陽』を次のように断じた。

「僕はあの作品は嫌な感じがした。(中略)『お父様』とかいう言葉遣いも本物じゃない。あれは芝居ですよ。太宰君は自分を非常にいいものに書きすぎている」

志賀にとって文章とは、事実を正確に写し取る「写生」であり、階級のリアリティを損なう言葉遣いは、文学の根幹を揺るがす「虚偽」だった。この発言は、当時の文壇において太宰に対する“死刑宣告”に等しい重みを持っていた。

2. 太宰治の絶筆『如是我聞(にょぜがもん)』――「安全圏」からの批判への怒り

これに対し太宰は、死の直前まで書き続けた随筆『如是我聞』で、震えるような怒りを叩きつける。

「志賀直哉という男は、うぬぼれが強くて、自分を神様だと思っている。(中略)生活に苦労したことがないから、あんなにきれいなことばかり言っていられるんだ」

太宰は、志賀が第2話で触れたような「生活の不安がない安全圏」から、民衆の苦悩を「不純」として切り捨てる傲慢さを鋭く批判したのである。

3. 生理的拒絶と最後の接触――「野卑」と切り捨てられた太宰の苦悩

志賀は以前、酔った太宰が絡んできた際の印象を「野卑な感じ」と語り、作品以前に太宰を“生理的に受け付けない存在”として拒絶していた。

太宰は『如是我聞』第4回を書き上げる前に玉川上水へ向かう。遺稿には、志賀への反論の続きが記されていた。

4. 死後の断罪――志賀直哉が最後まで太宰の死を認めなかった理由

太宰の死後、世間が悲劇のヒーローとして彼を悼む中、志賀の態度は一切変わらなかった。

「あんなことで死ぬなんて、実に不愉快だ。文学はもっと健康で強いものでなければならない」

志賀は、太宰の死さえも「計算された芝居」として突き放した。志賀直哉という“文学の正解”は、太宰の絶望を最後まで事実として認めなかったのである。

5. 戦後の読者が選んだもの ――「正解」ではなく「弱さ」

しかし、時代はすでに変わっていた。戦後の混乱期、読者が求めたのは志賀の「揺るぎない完成度」ではなく、太宰が描く「破滅」や「弱さ」だった。

『斜陽』はベストセラーとなり、「斜陽族」という言葉が流行語になる。これは、志賀の美意識が大衆のリアルな絶望と乖離し始めていた証拠である。

志賀は太宰の死後も評価を変えず、「太宰の作品を良いと思ったことは一度もない」と断言した。彼の守る文学的「正解」の中に、太宰の“異端の絶望”が入り込む余地は最後まで存在しなかった。