1. 序章 玉手箱の矛盾と研究史
「おとこ」
「お・と・こ・よ」
「おとこが、ほ~し~い~~」
乙姫様は、朝からご機嫌斜めでございます。
「ねえ、亀。あなたは、いいわよね。」
「あっちとこっちとさ。自由に行き来できるもの」
「それに比べてさ」
「私なんて、ずーっと、このままよ。ここでしか生きられないの」
乙姫様の心のなかに、なんの前触れもなく、突然スウイッチが入るのでございます。
「ねぇ、亀、探してきてちょうだい。私の、この不幸な身の上を慰めてくれる、殿方を」
とうとう、あたしにとっての最大の難問、難題、難関が再び幕を開けるのでございます。
「条件は3つ。身分や役職なんて、なぁ~にも興味もないの。
1つ目は、顔よ顔。これだけは、どんなことがあっても譲れない、絶対条件。
2つ目は、たくましい身体。お公家さんみたいな、ひょろっとして風が吹けば飛んでいってしまうような男はダメ。
3つ目、お話の上手な、お・と・こ」
「の」
「たったの3つ」
と、乙姫様は、ぱっと3本の指を立ててみせます。
わたしは、能面のような顔をしたまま話を聞いているしかございません。
「私って不幸な女」
「今までも、これからも、ずーっと、ここで生きていくしか無いの」
「かわいそうな、わ・た・し…」
乙姫様は、完全に自分の、自分だけの世界に入ってしまっておいでです。
「ねぇ、亀、私って無理言ってると思う。たったの3つよ」
「3つだけ」
あたしの目をまっすぐに見て静かに微笑みながら、おっしゃいます。思わずうっとりするような、お声でございます。
世の殿方が乙姫様の、このまなざしで、こうおっしゃられたら、我が身をなげうってでもとお思いになることでございましょう。
海から陸へ
陸を目指して、泳ぎながら考えました。
たったの3つの条件とはいっても、1つですら高い壁なのに3つ揃った男など、どこにいるのでございましょう。
それと、昨日までのおだやかな日々からの、あまりにも突然の心変わり。
これが女心と言うものでしょうか。
あたしなどには、分かるはずもないものでございますが。
陸に上がって、どちらに行こうかと思案していた、その時でございます。
「おっ、亀だ、亀がいるぞ」
子供の声がしたと思ったらバタバタと駆け寄ってきて、
棒で突つくは、蹴り上げるは、持ち上げるはで、とんでもない有り様。
どれほどの時間が経ったのでございましょうか。
あたしには、とてつもなく長い時間に感じられました。
「何をやってるんだ! お前ら!」
その声に子どもたちが蜘蛛の子を散らすように去っていきます。
「天の救い」の言葉でございます。
「大丈夫ですか?」と声をかけてくださったのは──
「きたー!」美形です。間違いなく美形です。
それも乙姫様好みの。
「怪我はない?」
小麦色に焼けた肌。引き締まった身体。
2つ目の条件。
クリアー!
口ぶりからして悪い男ではなさそう。
この機を逃すわけには参りません。
私には甲羅という鉄壁の防御装置がございます。
が、
「かなり、ひどくやられたようでございます」
ここで逃がしてなるものか。
「なんとか、帰るだけの体力だけは残っているようでございます。
そこで、不躾なお願いなのですが、竜宮城へ来ていただけないでしょうか」
「竜宮城?」
「はい、わたくしは竜宮城の使いとして、こちらに伺ったのでございますが、この体だと、お使いを果たすことが出来ません」
「そこで、お願いがございます。あなた様には証人として、今の状況を説明していただきたいのでございます。
……勿論、お帰りの際は、どなたかに送らせますゆえ」
「遣われ人の悲しい立場。使いが果たせなかったとなると、わたくしはクビになってしまいます。
この歳ですから、今さら他に頼る術もございません。「後生でございます。どうか……どうか、お運びいただけないでしょうか」
「それは、かわいそうだわな。でもどうやって」
「わたくしの背に乗せて、ご案内いたしましょう。
私の背におられる限り、あなた様は何の憂いもなく、竜宮城へと辿り着くことができます」
「でも、俺このとおり、でかいよ。大丈夫なの?」
「海の中だと目方も10分の1になりますので。
わたくしの残りの体力にも、さほど影響はないかと」
「そうか困ってんだもんな。それにクビになったら大変だし」
「じゃ、行くわ」
この軽さ。ノリも悪くない。
「はい。ではお連れいたします。どうぞ、わたくしの背にお乗りください」
竜宮城を目指す道すがら。お名は、浦島太郎様と……そう、お教えいただきました。
それにしても、しゃべるわ、しゃべるわ、息をもつかせぬお話しぶり。
その上、話も面白い。
明石家さんま、かよ
と思ったくらいでございます。
3つのお願い。すべて制覇でございます。完璧。
竜宮城
乙姫様の浦島太郎様をご覧になる、そのとろ〜んとしたお眼ざし。
どうやら、お気に召されたようでございます。
「わたくしどもの亀が危ういところを救っていただいた由(よし)、心より感謝申し上げます」
「せめてものお礼に、まずは心尽くしの膳を用意させました。どうぞ、ごゆるりと召し上がってくださいませ」
乙姫様の言葉遣いからして、このギャップ。
ただただ、感心するばかりでございます。
高貴なお方ゆえ、公私の切り分けの見事さとでも申しましょうか。
この喜びが永遠なれと、心から願うばかりでございました。
乙姫様にとっても、あたしにとっても。
それからというもの、飲めや歌えの、饗宴の日々。
乙姫様にとっても、あたしにとっても満ち足りた日々が続いたのでございます。
なにより、浦島太郎様の豊富な話術。
それはそれは、素晴らしいものでございました。
ところが、突然のスウイッチが入ったのでございます。乙姫様の。
「亀~。飽きちゃった」
「顔もいいし、身体も、筋肉質でたくましいし、話も面白い・・・けどぉ~」
「飽きちゃった~」
まったく……どうして、ここまで様変わりなさるのやら。
「なんとかしてよ、亀、なんとか~」
「はい、承知いたしました」
これ以外の返事など、わたくしの立場ではできようはずもございません。
「そういえば、浦島太郎様を龍宮城へお連れしたときに、親孝行で近所では評判なんだと照れくさそうにお話しされておりました」
「それでしたら、お母様も心配なさっているやもしれません。
一度お帰りになってはいかがでしょうか。とお説きしてみましょうか」
「それいいじゃん。私のせいじゃないもん。太郎の都合だもんね。そうだよね、それ使おうよ」
「さっすが、亀、聞き上手。そのうえ、あったまもいい~」
褒められて嬉しくないわけではございません。
ただ、浦島太郎様のお話があまりにお上手で、わたくしには口を挟む隙がなかっただけのことでございます。
浦島太郎の部屋
竜宮城の心地よさに加え、乙姫様の放つあの圧倒的な気配。
浦島太郎は、その甘美な毒に当てられ、ただ骨抜きにされていたのでございます。
おい、おい、おい。すっかり忘れてたよ。ババアのこと。
亀さんに言われるまで、
全くま~たく、ほんの一瞬も、思い出しもしなかったわ。
どうする、どうすんだ。ババアへの言い訳。
あのババア、てめえの気に入らないことがあると、
泣くは叫ぶは引っ掻くは。終いには、かぶりついてきやがる。
親孝行で評判って当たり前だよ。
ガキの頃から、あのババアのご機嫌を損ねないようにと、
必死に生きてきたんだ。
この身体だって、そのために鍛えてたんだ。たとえ、とんでもない親だとしても、ぶん殴るってわけにもいかない。
この身体は、あいつから身を守るための盾なんだ。
喋りだってそうだ。
ババアのご機嫌取りのために、身につけた技だ。
それにしても、どうすんだよ。
ババアへの言い訳・・・。
浦島太郎は、部屋の中をあっちへ行き、こっちへ行きと、
ウロウロするばかりであった。
乙姫の部屋
「浦島太郎様は、すぐに出立なさる、とのことでございます」
「ふ~ん。親孝行が、口から”でまかせ”じゃなかったんだ。
ほんと、いまどき珍しいよねぇ」
「それは、そうと、あれ、例のアレ。いくつ残ってる?」
「玉手箱でございますね。7つ、ございます」
「さすが亀。在庫確認までバッチリ」
「それにしてもさ玉手箱、作った人って、すごくない。
蓋を開けたら白い煙がポアっと出て、年寄りになっちゃうんだよ」
「普通だったらさ、秘密を知った者は、クビ チョンパだよね。
それがさ、ただの老人になるだけ」
「いっそ、一思い(ひとおもい)のほうが、却(かえ)って……」
思いがけず声が出てしまいました。
「なんか言った?」
「いえいえ、たんなる、独り言でございます」
「あっそう。まあ、いいわ。
それで、玉手箱の効果って、本当にあるの?」
「はい、これまで竜宮城においでになった殿方の、
ただのおひとりも、再び現れた方はございませんので」
「だって、おじいちゃんだもんね。
そんな体力も気力も残ってないか。
私にとっては、好都合だけどさ」
「玉手箱、忘れないで用意しておいてよ」
「たとえ、一時(ひととき)の恋だとしてもお互いに愛し合った者同士、最後のお別れのお見送りぐらいは……」
「はぁ~、せ ・ つ ・ な ・ い」
乙姫様は、またまた、 “乙姫様の世界”に入っていかれたようでございます。
別れの時
そして、別れの儀が始まったのでございます。
浦島太郎様は、心ここにあらずのご様子。
よほど母上様のことが気にかかっておられるのでございましょう。
いよいよ、乙姫様の独壇場。ここからが、すごいんです。
女を捨てて旅立つ男への、情念の名場面でございます。
憑依型の女優とでもいうのでしょうか、乙姫様の中から、哀れで切ない女が、すっと姿を現されるのでございます。
この別れの儀にだけに現れる特別のスウィッチが降りてくるでございます。
「浦島太郎様──」
声の色からして違います。深く、澄んで、どこか壊れそうな響き。
「大変楽しい時間を過ごさせていただき、ありがとうございます。」
今にも、崩れんばかり。
「これを」
と、差し出すは、玉手箱。
「わたくしと思って、大事にしてくださいませ」
そばで聞いている、わたしですら胸が苦しくなります。
「いえいえ、これ以上ない、おもてなしを受けただただ恐縮するばかり。」
なぜか、浦島太郎様は、まるで素人芝居の役者のような常套句で返します。
そして、ふと顔を上げられたのでございます。そのあとでございます。
乙姫様と目があった瞬間でございました。
浦島太郎様の目から、ぽろり、とひとすじの涙が頬を伝ったのでございます。、
「そのうえ、お土産までいただけるとは。こちらこそ言葉に尽くせないほどの感謝でございます。」
その声は、震えておいででした。
こっからですよ。こっからの名場面、名台詞。
あたしなど、何度見ても、うっとりするばかりでございます。
「ただし、決して開けてはなりません。お願いできますね」
そう、この一言。
口元からこぼれる白い歯。上目遣いの眼差し。全身に漂う気品。
もうこれだけで、アカデミー女優賞を満票で取れるくらいの破壊力。
「勿論でございます」
なんて、浦島太郎は、殊勝なことをいってるがよ。
太郎、お前は絶対に蓋を取るよ。箱を開けるよ。
あたしには確信がある。九分九厘じゃなく100%。
「開けるな」と言われたら、絶対に開ける。
なにより、失敗が、たったの一度もない実績が証明している。
そのあと、浦島太郎を海岸へと送り届けた。
これ以上は関わる必要はない。
結末が見えてるからな。
「ただ浦島太郎、お前が向かった先には、
母親もいなければ家さえないかもしれないがな…」
「これで、あたしも、しばらくは安泰だ。
乙姫も大人しくなるだろうよ。今までもそうだった。
完全に興味を失ったんだ。飽きたらおしまい。」
「はい、それま~でよ」
「さぁ~てと、乙姫のために、次の獲物(えもの)でも、見繕(みつくろ)ってくるかぁ」
物語の影に潜む乙姫の「甘美な毒」の正体を、日本書紀の記述から読み解きます。
▶ ここが思案の玉手箱・なぜに太郎は・・・|浦島太郎 考察と日本書紀の真実
▼ 『寓界星|小説世界の母胎』の書庫一覧
▼ 社会・文化の解剖学の目次一覧を確認する
└ 1. 桃太郎伝説にみる支配の構造
└ 3. なぜに「かぐや姫」の歌は存在しないのか?
└ 4. 鉢かづき|鉢に封じられた相続の真実
└ 6. 天女の羽衣なぜ彼女は子供を捨てたのか?
└ 9. 一寸法師と打ち出の小槌の象徴性
└ 10. 舌切り雀におけるお婆さんの役割と構造
└ 11. 瓜子姫伝説|風景に刻まれた祈りと掟
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▼【平安の闇】――『その正義は誰が作ったのか?』

