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第5巻:人間でない者たち——暴力と搾取の構造

ニューヨーク、コロンバス・サークルの夕暮れ時の風景。中央には空を映し出すガラス張りのドイツ銀行センターのツインタワーがそびえ立ち、その左側には特徴的な曲線を持つ200 セントラル・パーク・サウスのビルが見えます。手前には街路樹のシルエットがあり、都会的で洗練されたマンハッタンの街並みを捉えています。 歴史・文化
歴史・文化
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第一節:若君の乱行——暴力の無罪性と「人間」の境界

平安貴族の子弟、すなわち「若君」たちは、制度の最奥に位置する存在であった。

彼らは、血統と家格によって守られ、法の外に生きていた。
だが、その特権は、しばしば「暴力の無罪性」として発露する。

『今昔物語集』『大鏡』には、若君たちの乱行が数多く記録されている。

たとえば、ある貴族の子が、夜の町を馬で駆け回り、通行人を蹴散らして遊んだという話がある。
あるいは、気に入らぬ者を見つけては、従者に命じて殴打させ、時に死に至らしめたという逸話もある。

これらの行為は、しばしば「奇行」や「武勇伝」として語られ、処罰の対象とはならなかった。

なぜなら、彼らにとって庶民や下級官人は「人間」ではなかったからである

制度の中で「人」として認識されるには、血統と地位が必要だった。
それを欠いた者は、たとえ言葉を話し、感情を持ち、家族を持っていても、「壊しても罪にならない存在」として扱われた。

第二節:奴婢・人買い・債務奴隷——制度に組み込まれた「所有される人間」

平安時代の社会には、「人間でない者たち」が制度の内側に明確に位置づけられていた。

彼らは「奴婢(ぬひ)」と呼ばれ、法的に「人」ではなく「財産」として扱われた。

律令制下においては、官有の「官奴婢」と私有の「私奴婢」が存在し、売買・譲渡・相続の対象とされた。

『養老律令』戸令には、奴婢の身分は親から子へと世襲されると明記されており、彼らは制度的に「人間でないもの」として固定されていた。

9世紀以降、律令制の弛緩とともに、奴婢制度は次第に形骸化していくが、それに代わって現れたのが「人買い」「債務奴隷」の制度である。

『今昔物語集』『江談抄』には、都の市や街道筋で子供や女性が誘拐され、地方の荘園や鉱山に売られていく様子が記録されている。

これらは単なる犯罪ではなく、飢饉や戦乱のたびに拡大する「人間の商品化」の一環だった。

さらに、借金の返済ができない者が、自らや家族を「質」として差し出す「債務奴隷」も一般化していた。

『類聚三代格』には、債務不履行により妻子が債権者の家に下人として入った例が記録されており、こうした人々は、法的には自由民であっても、実態としては奴隷と変わらぬ扱いを受けていた。

制度は、こうした搾取を黙認した。

むしろ、受領や有力貴族にとっては、こうした「人間でない者たち」の存在こそが、私的な富の源泉であり、荘園経営や地方支配の基盤だった。

人間を「所有物」として扱うことが、制度の中に組み込まれていたのである。

第三節:受領の搾取——制度の頂点に立つ「収奪のプロフェッショナル」

平安時代の地方行政を担った「受領(ずりょう)」は、単なる地方官ではなかった。

彼らは、任地を「私有地」のように扱い、任期中にいかに私財を蓄えるかに執念を燃やす、制度公認の収奪者だった。

中央から派遣される受領は、任期が限られていたため、短期間で最大限の利益を引き出すことが当然とされていた。

この構造を象徴するのが、「成功(じょうごう)」の制度である。

これは、官職を得るために私財を投じて朝廷の儀式や寺社の修理を支援し、その見返りとして地方官の地位を得るという、いわば「官職売買」の制度である。

『政事要略』『本朝世紀』には、成功によって受領職を得た者が、任地での収奪によって投資を回収し、さらに利益を上げた例が記録されている。

この構造の冷酷さを端的に示すのが、藤原元命(ふじわらのもとなが)の事例である。彼は尾張守として赴任中、過酷な重税と官物の横領を繰り返し、ついには現地の郡司・百姓らから「三十一カ条の解文(げもん)」で朝廷に訴えられた(『尾張国郡司百姓等解文』)。

その内容は、収穫物の過剰な徴収、飢饉時の無援助、神社の財産の横領など、制度の名を借りた徹底的な搾取の記録である。

また、藤原陳忠(ふじわらののぶただ)の逸話も象徴的だ。

信濃守として任地からの帰路、谷に転落した彼は、助けを求めるどころか、谷底に生えた高級食材の平茸を必死に採っていたという(『今昔物語集』)。

救出された際の「受領たる者は、倒れる所に土をつかめ」という言葉は、受領の職がいかに「収奪の場」として認識されていたかを物語っている。

受領の搾取は、単なる個人の貪欲ではない。
それは、制度が構造的に許容し、むしろ奨励した行為だった。

成功によって得た官職は、投資の回収装置であり、任地はそのための資源供給地だった。

庶民は、制度の中で「収奪されることを前提とした存在」として位置づけられていたのである。

第五節:制度のなかの非人間——搾取の正義と「人間性」の剥奪

平安時代の制度は、死を忌避しながら、暴力と搾取を巧妙に制度化していた。

死刑を停止しながら、空間と呪術によって「見えない死」を執行したように、表向きは「仁政」を掲げながら、実際には人間を「物」として扱う構造が、制度の奥深くに組み込まれていた。

奴婢は財産であり、債務者は労働力であり、庶民は収奪の対象だった。

彼らの「人間性」は、制度の文言のなかで剥奪され、記録のなかで無視された。

『延喜式』『類聚三代格』に記された数々の条文は、まるで穀物や牛馬を数えるように、人間を数え、分類し、移動させ、処分していく。

一方で、制度の頂点に立つ者たちは、暴力と搾取を「正義」として行使した。

受領は、任地を「投資の回収装置」と見なし、成功によって得た地位を、収奪の正当化根拠とした。

彼らにとって、庶民の苦しみは「成果」であり、制度の恩恵だった。

この構造のなかで、「人間でない者たち」は、制度の歯車として消費されていった。

彼らの死は記録されず、声は届かず、名も残らなかった。だが、制度の隙間に残された解文や逸話、説話の断片は、彼らの存在をかすかに照らし出している。