かつて、病は「外からやってくるもの」と考えられていました。
目に見えない病魔を、人々は角が生え、鋭い牙を持つ「鬼」の姿として描き出しました。しかし、その「鬼退治」の刃が向けられたのは、ウイルスではなく、病に侵された人間そのものでした。
「公衆衛生」という近代的な言葉の裏側に隠された、現代版・鬼退治の闇を暴きます。
1. 疫病という名の赤鬼 ── 天然痘とコレラ
古代から中世にかけて、人々を最も恐怖させたのは天然痘(疱瘡)でした。
- 赤い鬼の正体:天然痘は全身に赤い発疹が出るため、人々はこれを「赤鬼(疱瘡神)」の仕業と考えました。
- 「おもてなし」の呪術:面白いことに、人々は赤鬼を怒らせないよう、赤い玩具を供え、丁寧に接待して「お帰りいただく」という儀式を行いました。これは、逆らえない圧倒的な暴力(病)に対する、弱者の知恵でもありました。
2. 癩病(ハンセン病)と「人面獣心」のレッテル
最も残酷な鬼化が行われたのが、ハンセン病(当時の癩病)です。
- 外見の変容:眉が落ち、顔面が変形していく症状は、人々に「前世の罪によって鬼に変えられた」という妄想を抱かせました。
- 「人間」からの剥奪:彼らは家族から戸籍を消され、村を追われ、川原や山奥の隔離地へと追いやられました。まさに「鬼」として社会から抹殺されたのです。
3. 「精神疾患」と鬼憑き ── 理解不能への恐怖
近代医学が浸透する前、理解不能な言動をする人々は「鬼が憑いた」あるいは「狐に化かされた」と診断されました。
- 祈祷と虐待:鬼を追い出すためという名目で、冷水を浴びせたり、火で炙ったりといった過酷な加持祈祷が行われました。
- 監禁の正当化:暴れる者を「鬼」と呼ぶことで、座敷牢に閉じ込め、鎖で繋ぐという行為を正当化したのです。
4. 近代国家による「科学的な鬼退治」
明治時代に入り、病の原因が「細菌」であると判明しても、排除の構造は変わりませんでした。
- 強制隔離の始まり:「らい予防法」などに代表される国家による強制隔離は、社会の「清潔」を守るための現代版・鬼退治でした。
- 衛生という正義:かつての頼光が「都の安寧」のために鬼を討ったように、近代国家は「公衆衛生」という錦の御旗を掲げ、異分子を社会から物理的に消し去りました。
私たちがウイルスを「撃退」と言い、病者を「排除」しようとする時、そこにはかつて酒呑童子の首をはねた頼光と同じ、「不浄なものを消し去りたい」という冷徹な選別心が潜んでいるのです。
次回予告
病を鬼として排除した近代国家は、次に「死そのもの」を隠蔽し始めます。
次回は、煙と共に消えていく、死のリアリティの変遷。
第8回:【浄化】火葬の普及 ── 「死の風景」を消し去った明治維新
なぜ明治政府は一度、火葬を「禁止」したのでしょうか?
▶目次へ戻る「鬼に横道なし」――勝者が葬った“まつろわぬ民”の記録
▼ 平安の闇シリーズの目次・一覧を確認する
▶└ 〈清潔という幻想〉:トイレから見た世界の秩序と信仰

